散歩道<462>a
散歩道・1000号記念特集・面白い話・大集合(14)・17回に分け散歩道<449>(1番)〜<465>(118番)報告します。
96.徳川家康の時代、交易相手国がポルトガルからオランダになっていったのは、オランダが交易の比重を布教よりも交易に移してきたからのようだ。
この当時のポルトガル語で今も日本で使われている言葉:羅紗(raxa)、ビロード(veludo)、更紗(saraca)、カッパ(capa)、テンプラ(tempura)、ひろうす(filhos)、金平糖(confeidos)、ボーロ(bolo)、カステラ(castela)、チンタ(vino
tinto)、コップ(copo)、フラスコ(frasco)、タバコ、キセル、うんすんカルタ、屏風等などがある
関連記事:散歩道<662>外来語、明治文化人の訳業、<663>日本人の造語能力、
97.敷物を投げられた役者「半畳を入れる」
プロ野球の試合で大事なシーンに、アンパイヤが変なジャッジをしたり、プレイヤーがボンヘッドを犯したりすると、観客が座布団を投げる光景をよく見かける。こうした行為に何かとご批判の向きもあろうが、不満を表明するとき、敷物を投げつけるのは、わが民族、数百年来の習性であるようだ。むかし、劇場の平土間の客には、一畳の半分、つまり半畳のゴザを貸し出した。平土間はいちばん安い席ではあったが、芝居通の常連が揃っていた。役者がちょっとでも気を抜いたり、トチリたりしようものなら、すぐに敷いていた「半畳」を舞台に投げこみ、野次ったという。こうした「半畳を入れ」られながら、役者はじぶんのプレイにみがきをかけたのだ。樋口清之様
備考:'06.3.WBC(国・地域別対抗戦)で、アメリカ対日本、アメリカ対メキシコの試合で、タッチアップやホームランの判定を巡って騒動があった、イスに座って投げるものがないアメリカでは、何をなげたのでしょうね
98.昔は、親父の中にもいた「じゃじゃ馬」
シェックスピアの作品『じゃじゃ馬馴らし』に登場するカタリーナのように、ひとすじ縄ではいかない気性の荒い女性を、暴れ馬にたとえて「じゃじゃ馬」という。言得て妙だなどと言えば叱られそうだが、ほんもののじゃじゃ馬は、正確には”じゃじゃ踏む馬”という。”じゃじゃ”とは、足を踏んで風を送るふいごのことで、機嫌の悪い荒れ馬が、足を踏んで暴れ回る様子に似ているところから、この名がつけられた。いつのころから、女性の専売特許になったかは知らないが、安永(あんえい)元年の『和布刈神事』という本に、「じゃじゃ馬親仁(おやじ)」という表現があるところをみると、昔は、男女の別なくつかわれていたようだ。樋口清之様
99.あさっての方向に飛ぶ矢「そっぽ」
その昔、江戸時代「とんだ勘違いで、そっぽうばかり言うヤツだ」と言えば、今では俗に言われる”あさっての方向”、つまり見当はずれを意味したものである。この「そっぽう」は、「外方」(そとほう)のなまったものとも、「其方」(そほう)が促音化したものともいわれ、それが省略されて現在使われる「そっぽ」となったわけである。もともと、武士の放った矢が的の外に飛んでいってしまう様を想起した語といわれるが、これが次第に”そっぽを向く”などと使われるようになったという。そういえば、的をはずれは矢が二度ともとへは戻らないように、一度女性がそっぽを向くと、なかなかご機嫌をなおしてくれないことがある。樋口清之様(そう言えば、アテネオリンピックで、アメリカの優勝候補のアーチェリの選手が、どういうわけか隣の的を狙って当たった為、失格になった例がありました!)
100.お茶の有無には関係ない「無茶」(むちゃ)
江戸時代一般庶民が使っていた俗語の中に「むちゃ」という言葉があった。教養の低い当時の庶民の事だから、言葉の由来までは定かでなかったが、とにかく、「人の情をむちゃにする」というように、「むだ」の意味で使っていた。現代の「無茶」は、それが変化したものらしいが、「目茶」「滅茶」という似たような意味の言葉もあり、漢字は音だけをとった当て字らしい。「無茶」という字から、客をもてなすのに茶を出さない常識はずれを「むちゃ」といったなどと説明するのは、かえって「無茶」ということになろう。節約時代の現代ではむしろ、会社の来客に茶を出さない”無茶運動”さえ起こっているのである。樋口清之様