散歩道<4602>                                537から移動

                   山折哲雄教授・講演会・宗教の話・「わが子を捨てたブッダ」(2)・・・・聞くということ                (1)(2)続く

 シャカは死の旅にあたり、アナンにいろいろの話をし、2つの約束をする。1つ、もし汝等が必要とするなら生き続けよう。2つ、死んだ時、葬儀にわずらわされるな(分骨などするな)。この約束をアナンは2つとも破る。(1、シャカの言ったことに応えていない)、(2、分けられた仏舎利は広く仏塔などが作られ世に広まっていく)。西洋では今でも教会に行くと、パイプオルガンが鳴り、宗教音楽を演奏している。純粋に聞くことです。しかし近代は見る音楽、非宗教的音楽である。マルチンルターは神を見てはいけない、神の声を聞くのですと、言っている。
 その
ドイツルーテンベルグにはカトリックを批判した彼の12か条の文章がある。キリスト教そのものが(聴覚が中心)、聴覚中心にまわっていた。近代文明は顕微鏡で又、双眼鏡で見たものだけより信じることをしなかった。日本でも、親鸞は聴法(もんぼう)聴き続けたのです。阿弥陀如意(あみだにょらい)の声を聴く、仏教の大乗経典 全部聴くことが中心である。(天の声、神の声、仏の声を聴け)、人類発生の時すでに、そうなっていたのかもしれない。
 太宰治
*2も志賀直哉が多くの弟子がひれ伏して、話を聴いている時に、私には別の声が(我仏の声を聞けり)聞こえるといっている。能楽の世界(世阿弥の世界=能狂言の世界)にも、(出家憎が亡霊、怨霊、なげきを)、横で(脇で)聞く役がある。舞を舞っているうちに鎮められる。患者と医師、子供と親、生徒と教師、部下と上司等、聴いてあげれば鎮まることはある。(誰も相談する相手がいない時はどうする?)柳田邦夫*3の世界に子供の歌がある、「親のない子は夕日をおがむ、親は夕日の真ん中に」(そこに先祖や地蔵様がいたのかもしれない)自然の中に、時代時代のイメージがあったのであろう。


'07.6.17.講演会、日文研授・*1山折哲雄氏

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