散歩道<4558>
経済気象台(679)・「エリート」を考える
官庁を辞めて民間で何かを始める人にマスコミは好意的だ。「有名大学を卒業後、X省に入ったAさんは、日本のエリートである。それにもかかわらず・・・・」などと報じる読者には、「Aさんは、日本を変えてくれそうな信頼できる相手だ」との印象を与える。Aさんが「欲張り兄さん」なのか、それとも「日本の未来を考えている人物」なのかは誰も問題にしない。いったん「エリート」になれば、その力は組織を抜けても大きいことに驚かされる。
私はエリートとは二つの尺度で見極められると思っている。一つは、自分の価値観をもち、キャリアに多少のリスクはあっても、世の中をよくしようとするその目的を貫く勇気があるのか、ということだ。
二つ目は、今はできなくとも、将来、ボランティアや寄付行為など社会貢献をする気があるかどうか。真のエリートは、国立大学の安い授業料、安い官舎、留学などこれまで受けた厚遇へ恩返しを考えるはずである。
一昔前の時代には、社会的地位の保持には責任が伴う概念があった。しかし、最近、この二つを兼ね備えた「ノブレス・オブリージュ」を感じる人が少なくはないか。
エリートは18歳時の学歴だけで決った後、一生涯失わない勲章であるべきではない。継続的なリーダーシップや、実際の社会貢献で考えるべき概念だ。今の「エリート」ばかりを優遇していては、いつか下の層の不満が爆発する時が来る。若者によるデモは、海外だけでの問題ではなくなる。私は、東日本大震災の義援金に賞金全額を寄付する石川遼(19)を評価したい。彼こそが真の日本のエリートではないか。
'11.8.27.朝日新聞
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