散歩道<4553>
経済気象台(674)・脱原発に明確な定義を
フクシマの原発事故以降、原発にこれ以上頼らないという国民的なコンセンサスがわが国において次第に出来上がってきたようだ。これに関し、「卒原発」「縮原発」「減原発」といった造語が、盛んに用いられているが、その中でも最も普及しているのが「脱原発」であろう。先般の菅首相の思い付き的な個人発言も、「脱原発依存」であった。
しかしながら、その内容は使用する人々で異なり、世間で無用な混乱を招いている。政策論議として共通の基盤を作るためにも、次の3点を明確にすべきである。
まず第一に、脱原発は具体的に原発ゼロを意味するのか、あるいはエネルギー源にして30%近くある現在の原発依存度を半減もしくは3分の1の程度に縮減するのか。人々は勝手に自分なりの思いをこめしゃべっている。
第二に、どのような内容を主張するにしろ*1時間軸が全く無視されている。かりに最も厳しい原発ゼロを選択するにしても、即やるのか、20年、30年先の目標にするのかによって、議論は全く異なってくる。
そして第三に、原発の削減分の代替として再生可能エネルギーで本当に大丈夫なのか。この場合のコストはどのくらいで、経済的、技術的に可能なのか。それがどの程度電気料金値上げに跳ね返り、家計で負担可能なのか。企業の海外脱出を防げる水準なのか。国民の間にまったく共通の理解がない。
これから「脱原発」を軸に国民的な議論の積み重ねは不可欠であろう。それにしてもその定義を明確にし、政策論を展開するのに共通の土俵を持たねばなるまい。同じ言葉で異なる帰結を目指していては、議論が混乱するのみである。
'11.8.17.朝日新聞
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