散歩道<4535>
                     世相(238)・堀文子さん新藤兼人監督勝野洋さんの話から       ・・・・ 発想を変える

1、画家・堀文子さん(93歳)の話:西洋には画壇なんてない。日本だけのものだ。私はこのような画壇のグループに入ろうとは思わない。常に自由で珍しいもの新しいものに興味を持ち続け、生き生きと、はつらつとした生命の喜びを描きたい(顕微鏡を通して見るミジンコの絵などユニークな絵である等)。西洋で絵を学ぶ為、2度の渡航、洋画の勉強をした。その勉強中に、日本画の良さに気づき、その素晴らしさを見直すことになる。しかし、何か西洋には引きつけられるものがある。それが何かと考えた。それは自然を大切にする風土なんだということに気がつく。日本に帰り日本画に熱中、今は自然の花の絵等を生きている限り描きたいと思う。'11.9.19.NHK・TV2012年1月28日
 関東大震災は、「在るものは滅びる」私に無常観を植え付けることになりました。古代文明の絵は観賞用ではなかったから、生き生きと描かれている。 美術品として描かれた美は、理想的で冷たくなってしまうのです。
 世界各地を放浪した結果、芸術は作るものではなく、植物が生まれるようにその土地から生まれるのだと痛感しました。美は暮らしの中に累積しています。例えば、日本の食卓には季節と彩りを考えた漬物が整然と並びます。食事の中にも日本の美意識が存在するのです。日本画には、西洋画と違うリアリズムがあるのです。日本画は極めて理性的な絵なのだと気付きました。
 私は師を持たず、自己流を貫いてきました。私は創造活動に「壇」があるのはおかしいと思ってきた。群れない、慣れない、頼らない。そのため自分の道を歩んできました。
 創造とは、その人だけの一度切りのものなのです。一度描いてしまうと、その瞬間以上の感動はなくなります。過ぎたものは忘れていくのです。ですから、私の個展は「現在」
(いま)というタイトルなのです。 もしもやりたいことがあるのなら、自分の力ですることです。人に相談してはいけません。「また今度」というと、二度とチャンスは来ないのです。「人生の贈りもの」'12.1.23〜1.27,朝日新聞
備考:堀文子さんが'19.2.5.逝去された。ご冥福を祈ります。

 
 
2、新藤兼人監督の話:奥さんは俳優の乙羽信子さん。素晴らしい俳優であった。彼女が私の妻であったことを今でも誇りに思っている。子供の頃、私を特に大切にしてくれた母親であったが、悪口はたたく、反抗する、暴力を振う等、いい子ではなかった。母に生前、感謝した言葉を発した記憶がない。今、この年になって考えると、何ぼ感謝しても、し過ぎることはない、申しわけなく思い、そのことを今、深く反省しる。NHK・スタジオパークで
備考:新藤兼人監督が'12.5.29.100歳で、逝去された。ご冥福を祈ります

3、俳優・
勝野洋:父は激戦が続き多くの日本軍人が亡くなったニューギニア(だと思う)で、数少ない生き残った日本人の上官の軍人である。部下を引き連れての雨天で道のないジャングルのを切り開いての行軍は想像を絶するほど厳しいものであった。その山越への途中で死に絶えていく軍人が続出した。食べるものがない食料事情、マラリア、破傷風、下痢、栄養失調等の病気で行軍の途中に、隊と一緒にこれら衰弱した部下を連れて行くことはできず、部下をそのままそこに置いていくしか仕方がなかった。上官としてその悔しい思いが頭から離れることは一生なかったようである。
 帰国後は自衛隊に入ることになった、息子の洋さんの元に帰ってくることはほとんどなかったそうだ。家族を大切にしてほしいという思いが手紙に残されている。それだけを悔いの気持ちを持ち続けて生きていた人生だったようだった。
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