散歩道<.4530>               
                       終わりと始まり・「ツー・オブ・ライフ」を見る(3)宇宙誌と霊の世界       (1)〜(3)

○ ○
 映画の最後で彼は夢想の中で荒野に立つ境界の門をくぐり、霊の世界の渚
(なぎさ)で自分の記憶の中の人々に出会う。自分が幼い時のままの父や母がおり、弟がおり、その他たくさんの人たちがある方向へ向けて歩いているのに合流する。和解と調和の光が満ちる。
 この映像の力に、言葉はとてもかなわないと思った。
 「ツー・オブ・ライフ」にキリスト教の色は濃い。そもそも「生命の木」とは旧約聖書でエデンの園に「善悪の知識の木」と並んで生えていた木だ。
 だが、人間はこの世界で他の被造物の上に立つ別格の存在であり、神の愛
(め)でる子である、という楽天的な世界観は採用されていない。
 映画の最初に「ヨブ記」からの言葉が掲げられている(わかりやすく加筆して引用する)・・・

 わたしが大地を据えたとき、おまへはどこにいたのか?
 夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らはみな喜びの声をあげた、その(天地創造の)ときに?

 信仰篤
(あつ)いヨブを災厄を送って試す。それでもヨブは揺るがない。最後になって出てきた疑念を神は打ち砕き、ヨブは最終的に神に帰順する。
 大事なのは世界は人間のために作られたのではないということだ。人間が登場しなくても世界は完結していた。それでも我々は「神は与え、神は奪う。その御名
(みな)はほめたたえられよ」と言わなくてはならない。
 家族がずっと考えているのはこのことだ。今、東日本大震災の後で僕が考えているのもこのことだ。キリスト教の信仰とは別に、なぜ震災でたくさんの人が亡くなったのか、なぜ大地は揺れるのか、その先のどこに生きる意味があるのか?
 この映画にも何か手がかりがあるような気がするのだが。

'11.9.7.朝日新聞・作家・池澤 夏樹氏

関連記事:散歩道<>氏名・池澤 夏樹氏2915.2919.3003.3719.4333.<検>文化・映画