散歩道<4489>
世相(234)・「原爆投下・生かされなかった極秘情報」(1) (1)〜(2)続く
'11.8.6. NHKスペシアル・「原爆投下・生かされなかった極秘情報」
この話は、元日本軍人で、アメリ空軍の無線の情報を調べる立場にあった、特殊情報部の人達の数名の(現在80歳〜以上90歳)証言で構成されている。
20年3月、B29 のコールサインを日本は傍受していた。それらのモールス信号のコールサインは、サイパンV400、グアムV500、テニアンV700であった。しかし、昭和20年(1945)6月、600V台の聞き慣れない、コールサインがマリアナ諸島から発信されていることを傍受した。その情報は(今までとは異なる信号であることを)特殊情報部の2部を通して、参謀本部に伝えられていた。
日本も全国の秀才を選りすぐって、仁科博士を中心に原子爆弾の研究を進めることになった。しかし、研究がうまくいかず、アメリカも原子爆弾の研究を中止したので(実際はそうではなかった)、日本もこの研究を中止するというのが、そこに集められ研究者に説明された理由であった。
8月6日、AM7時20分頃、エノラゲイ(B29)の偵察機(この飛行の目的は、当日の原爆投下地点の気象状況の調査である)が約1時間前、日本上空に到達したのを特殊情報部はその動きをキャッチし、その情報は参謀本部には届いていたはずだという。(アメリカの機密情報史に、この偵察機はエノラゲイ(B29)に情報を提供する為の特殊偵察機であったことを認める記事が残されている)。その55分後広島上空に飛来したエノラゲイ(B29)が原爆を投下したのである。しかし、空襲警報は広島市民には、出されることはなく、全く部防備のままの広島市民の上に原爆は落ちたのだ。この原爆の情報を後で知った、参謀本部は特殊で強力な爆弾であるとは認めたが、原子爆弾であるとは認めなかったそうだ。
8月6日、本田稔*1さんは西宮から大村基地に「紫電改」(しでんかい)で帰還飛行中、広島上空で、広島原爆の爆風で飛行機は揉(も)みくちゃになり急降下したが何とか持ち直して墜落は免れた。その時、眼下に見た広島の街が一瞬の内に真白な壊滅状態になっているのを見て、その変わり方のすさまじさに目を疑った。その時の状況や、大変な爆弾が投下されたことを司令部に伝えたそうだ。
備考:この番組で放送に協力した方、名が出た殆どの方は今迄この件について発言されたことはないということです:堀栄三少佐さん、水越邦彦さん、有賀努さん、林三郎大佐さん、田中国夫さん、太田新生さん、*1本田稔さん、井上忠男さん、梅津美冶郎参謀総長さん、米軍・ガッケンバック元少将、
'11.8.6. NHKスペシアル・「原爆投下・生かされなかった極秘情報」
関連記事:散歩道<224>暗号を読む、<1427>開戦65年狂気が日本を滅ぼした(2)、<3789>世相(175)原爆投下について今考える、<3804>平和のための写真展(3)、<4198>戦争、今明らかにされる事実、<検>半藤一利さんの戦争の文章、<検>戦争、、