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平木収様の2つの話 1、ハイパー・ミュゼオロジー(博物館学)・ 2、子供と写真 ・・・・・ 発想を変える
1、ハイパー・ミュゼオロジー(博物館学)
各地の公立美術館や博物間が経営に苦労しているらしい。自治体がどこも財政難で芸術や文化に金をかけていられないということだ、リストラも進んでいるし、指定管理制度とやらで民間委託を進めようとしている自治体も多い。一方美術館で働きたいという学芸員資格を求めて「博物館学」を受講する学生は全国にかなりいる。学生には資格をとっても職業には、おおよそ結びつかないといつも告げていた。でも、博物館学が全く役に立たないのではあまり酷だから「職業には結びつかないが少なくとも、いい観客になれるよう勉強しようと」はげました。そして美術館を訪れるのが、楽しくなるよう玄人ぽい着眼点を教えながら考えた。もはや学芸員要請より利用者である。観客やアーチストの為のミュゼオロジーが必要なのではないか。経営サイドの理屈であるアート・マネジメントは一時期はやったがその方向ではない、利用者は何を求めているかをはっきり示せる能力を養う場を設け、外部から美術館を支える実効的な意見や提案が投げかけられるべきだ。名づけてハイパー・ミュゼオロジー実践に向けて中身の思案中である。
'05.6.14.朝日新聞、写真評論家・平木収様
2、子供と写真
写真てすごいものだ、いまだに感服する。本当である。普段見えているようで、実は見えていないものを、はっきり見えるようにしてくれることがあるからだ。この春、東京・渋谷で公開した写真展「地球を生きる子どもたち」は、19世紀から現代まで、写真は子供達の姿をどのように留めてきたか、一気にたどろうというもので、今も巡回を続けている。製作監修に5年携わった。正直いって動揺し涙をこらえての5年だった。調査担当が数万枚の写真に当たり、それを数人のスタッフで260点ほどに絞り込んだ。古今東西、子供が愛くるしいのはあたりまえ。しかし、準備段階で見たおびただしい数のつらい子供の写真がかわいい子供の写真よりずっと重かった。戦争や災害、貧困などから、生き抜くことが出来なかった子供の眼差し、顔や姿が目の奥に焼きついた。子どもたちは大人よりも生きる時間をたくさん持っているはずなのに、という意識が、ついえた命、永らえた命の隔たりを増幅する。出来上がった写真展を見ていると。使わなかった数々の写真がよみがえり、それらが実際に展示されているイメージと絡み合う。そこに死に対しての生ではなく、生き永らえていることへの尊厳を見た思いに駆られた。このとき、ふと、「命」が見えたような気がした。
'05.6.15.朝日新聞、写真評論家・平木収様
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備考:'09.2.27.朝日新聞に平木収様が亡くなられたことが報道されている、冥福をお祈りいたします。