散歩道<4386>

                  面白い話面白い文章・残りの二分は、火事見舞いと葬式「村八分」  ただ一つの思想                

かたえくぼ:スーパークールビズ:率先しています・・・・・・・・・日本相撲協会        環境省どの(ヤブ)                       

「村八分」
 江戸時代、村のしきたりや習慣を破った者は、他の村人たちからこぞって排斥され、近所づき合いを拒否された。これがいわゆる「村八分」だが、人類が月旅行にも出かけようという現代でも、この伝統はさまざまに生きている。早い話が、業者が談合して一斉に値上げしようというとき、いや私のところは値上げしませんなどといおうものなら、その業界から村八分にされるのは必至だ。
 なぜ”十分”でなくて”八分”かといえば、そこがいかにも日本的で、残りの二分は、火事見舞いと葬式なのだそうだ。この二つ、めったにあるものではないから、たとえ八分でも、その目に合った人には、骨身にしみるきつい仕置きである。
樋口清之さん

関連記事:散歩道<4379>村八分<検>面白い話、<検>面白い話大集合、

ただ一つの思想を知るということは、思想というものを知らないというに同じい
 読みようによっては、いろいろな意味にとれる含蓄ある言葉だ。西田幾太郎は、言うまでもなく、日本哲学界の大御所である。明治44年(1911)に『善の研究』を発表、明治以来、ヨーロッパ、とりわけ、ドイツ哲学が幅をきかせていたわが国で、東洋の伝統的思考を重視して西洋哲学と対決するいわゆる「西田哲学」を確立した。
 これは、彼の「続思索と体験・『続思索と体験』以後」に納められた言葉だが、西洋思想にも東洋思想にも通じた西田にしてはじめて自信をもって言える言葉かもしれない。
 「象牙の塔」は、サント・ブーブがビニーの態度を評したフランス製の名文句だが、それに匹敵するのが、西田のこの言葉だといってもよいだろう。狭い専門分野に閉じこもることが、学者的とされる傾向が強いわが国の学界のあり方への痛烈な批判になっている。加えて言うなら、「大東亜共栄圏」とか、「一億総中流」とか、すぐに一つの思想に凝り固まりやすいわが国民性への戒めの言ととれないこともないだろう。
百瀬明治さん

関連記事:散歩道<4377>原子力村、<検>岡倉天心646.3791.<検>教養、