散歩道<4380>
    
        
                         耕論・オピニオン・原子力村
                            
「村八分」にされ助手のまま(2)            (1)〜(2)続く

 そもそも原子力産業は国家の意思なしにはスタートできません。原発は事故が起こった時の被害総額があまりに大きく、大量の使用済み燃料処理にかかる最終的なコストもはっきりしない。一般企業がこんなリスクを背負うことは到底出来ず、産業化には「原発をつくる。一定限度以上のリスクは国が肩代わりする」という国策が前提となります。
 「国がやる」ということから始まっているから、「やるのがいいのか、悪いのか」。という話には、そもそもならない。「反原発」は即、反国家的行為とされます。原子力業界が批判を受けつけない「村社会」になるのは必然だったと思います。
 しかも、「村民」は業界や国だけにとどまらず、原発の建設候補地でもカネを使って、地元の政治家や住民を原発推進派に仕立てていきました。
 私たち原発を批判する研究者は「せめて事故のリスクを分散させるために、原発の集中立地はやめよ。原子炉の出力にも制限を設けよ」といい続けたのですが、黙殺されました。村の閉鎖性が福島第一原発の事故を悪化させた一因だったことは否めません。
 一方で事故後には、これまで原子力利用の推進派だった専門家16人が、事態の深刻さを率直に認め、政府に提言しました。村全体からみればわずかな人数とはいえ、それだけ今回の事故が「村民」にも深刻な影響を与えた、ということでしょう。

'11.5.20.朝日新聞・立命館大名誉教授・安斎育郎さん
 

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