散歩道<4379>
耕論・オピニオン・原子力村
「村八分」にされ助手のまま(1) (1)〜(2)続く
私は1960年に東京大工学部原子力学科の第1期生、15人の1人でした。国が原子力産業に必要な専門家を育成するため、各分野の研究者を寄せ集めて作った学科で、「原子力村の村民育成機関」というわけです。当然、同期生のほとんどは原子力業界に進みましたが、私は学生の頃から「原子力の安全性が破綻したらどうなるか」ということに関心があり、1人だけ原子力政策を批判する立場になりました。
国が原子力推進のためにつくった学科から「反原発」の人材が出るなど、あってはいけないことです。私は東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままでした。主任教授が研究室のメンバー全員に「安斎とは口をきくな」と厳命し、私は交信の教育からもはずされました。研究費も回してくれないので、紙と鉛筆だけでできる研究に絞らざるを得ませんでした。東京電力から一時研修に来ていた人は、去り際に「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係りでした」と告白しました。
私は「村八分」にあったからこそ、原子力村の存在を強く実感できたわけです。「私に自由に発言させないこの国の原子力が、安全であるはずがない」と、直感的に分かりました。
'11.5.20.朝日新聞・立命館大名誉教授・安斎育郎さん
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