散歩道<4344>
時事小言・原発と核兵器(3) (1)〜(3)続く
危険直視し具体策へ道を
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電力を享受し、原子力発電の危険から目を背ける。事件が起これば、政府や東京電力に騙(だま)されていたと怒り、自分の沈黙には目を向けない。この構図とよく似た議論がある。国際関係における核兵器の削減である。
広島・長崎への原爆投下という悲惨な経験のために、日本では核兵器廃絶を支持する声が高かった。だが、同時に、日米同盟のもとで日本がアメリカの核抑止力に頼ってきたことも否定できない。抑止の実証は常に困難だが、かってのソ連、現在の北朝鮮や中国が、アメリカによる核攻撃の可能性を恐れずに日本への軍事行動を計画できないことは疑いがない。核廃絶を求める日本は核抑止の受益者でもあった。
核抑止によって現在の国際的安定が支えられているという前提を受け入れたとしても、核削減と将来の廃絶を拒否する結論にはつながらない。核削減はユートピアではなく、それ自体が国際緊張を引き下げる多国間交渉だからだ。そこで必要となるのは核に頼る平和から核に頼らない平和への変化であり、具体的な軍縮交渉の実践である。
だが、核抑止による安定を受けいれる人たちにとって、核軍縮とはアメリカの提供する核抑止力の低下であり、日本の国防の弱体化であった。逆に核廃絶運動の側では、核抑止という概念そのものが間違っているものとされ、軍縮交渉は核兵器の全面的廃絶と異なる提案として警戒された。平和運動が、軍縮の具体的な構想よりも広島・長崎の被爆体験を国外に伝えることに力を注いできたことは否定できない。
こうして、核問題に関する議論は、核抑止による安定に寄りかかる政府と、軍縮交渉を切り離した、核廃絶を求める平和運動に分裂する。、核抑止論と核廃絶論が原則論の段階で向かい合う構図からは、具体的な政策プロセスとしての軍縮を実現する手がかりは見えてこない。そして国民世論は、核戦争が起これば取り返しがつかないことがわかっていながら、核抑止のもとの安定を受入れ、核軍縮の構想から目を背けてきた。
今では平和運動ばかりかキッシンジャー国務長官やペリー元国防長官のようなアメリカ政府の実務家も、核軍縮と廃絶を呼びかけている。核軍縮をユートピアではなく、具体的な政策として考えるべき時が来た。
原発と核兵器をつなぐのは核の危険だけではない。災厄の可能性を説く声に耳を貸さなかった誤りを繰り返してはならない。
'11.5.18.朝日新聞・東京大教授・*1藤原 帰一氏
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