散歩道<4341>
講演会・戦後映画における孤児の表象
今日の講演会は興味はあったが、全体的に理解できたわけではないので、関心を引く話題もあり、自分流にまとめてみることにした。
戦後、戦争で親をなくした多くの戦災孤児・浮浪児が出現した、かれらは生きるためにあらゆる方法で多くの人からの援助や、物乞いなどして育っていった。
戦後、闇屋は広く横行していたし、社会を支えているもの(会社など)が何もない状態が全国では続いていた。その時は町内会が中心にまとまっていた。その中で、生活を支えたものはお講(おこう)ではないかと思う、後でわかった。一般の国民は生き続けるためにとに角何かして生き延びてきたように思う。戦後22、24年ごろ外地から多くの戦争軍人が引きあげてくるようになった。少しずつ活気が都会を中心に戻ってきつつあったようである。26、28年ごろまでに地方へ疎開していた人(生徒)たちも都会へ戻っていくようになった。しかし、まだ国を意識するようなことはなかった。娯楽と言えばラジオと映画よりない時代、映画「24の瞳」や、映画「鐘のなる丘」などすくすくと育つ子供たちが演じられているこれら映画は、国民に多くの反響を呼んだ。又、少しづつ日本人としての意識を思い起こし、目覚めつつあったように思う。今回の東日本大震災の仮設住宅などの街のいたるところの広い公共の場所には引揚者等を収容するために建てられた。そこから多くの先生も、又生徒も学校に通ってきていたのを思い出す。
その後、彼らの多くは60年代には青年として社会の中核で働くことになり、日本を支えていくことになる。
1960年(昭和35年)の池田勇人内閣の所得倍増論から国民は国家という意識に目覚めさせることになる。これが、国民が初めて近代国家という意識は持つきっかけになったのだという。
戦争体験があるかなしに関わらず、戦争のあり方、戦後のあり方について考えるようになった。そこでは、国家が支配者となる、支配機構が成立した。近代国家とは、国民、領土、統治権が存在することである。
フロアから、1、この映画の子供は、役を演じているのであって、フイクションではないか、本当はもっと厳しかったのが現実ではないか。2、占領国としての立場から、映画を通して日本国民(孤児)を理解しておられる偏りが講師にはあるのではないか、3、当時の日本には共産圏からの引揚者は共産党と見なされるような土壌があった。4、広島・長崎の原爆投下や、B29による集中的な爆撃を都市に繰り返し一般市民に多くの犠牲が出たことに責任は感じないか?、などの質問も出た。
又、日本の終戦記念日は、1945.8.15であるが、アメリカの終戦記念日は、ベトナム戦争終結時1973.1.3.である。
'11.4.26.カールトン大学准教授・ミツヨ・ワダ マルシアーノさん
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