散歩道<4298>
時事小言・災厄と評論・(2) 霧の中で選択肢探る (1)〜(3)続く
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その時々に政策を選択する政治家や官僚は、どのような政策が実現可能なのか、選択の幅がどれほど広いのか、知ることができない。何が可能で何が不可能なのかが分からないまま、前も後もわからない霧に包まれたなかで、人々の生活を左右する政策選択を強いられるのである。
その中には誤った状況判断によって実施された政策もあるだろう。太平洋戦争でいえば、その時には避けられないと考えられた戦争も、後から見れば避けることのできた、そして避けるべき戦争であったものに映るようになった。時間が経って初めて、その時々に妥当と思われた決定や行動に潜んでいた誤りが明らかとなるのである。
学者の本業は、すでに終わった事件や決定を跡づけることだ。霧が晴れ、資料も揃(そろ)い、何が可能で何が可能ではないかがはっきりした時点で議論するのだから、頭が良さそうにも見えるだろう。だが、その頭の良さは役立たずと表裏の関係にある。現場で選択を迫られた時に学者が適切な判断を下すことができるとは考えにくい。
時事評論は、後出しジャンケン*2と特権を捨て、実務家と同じ「現在」における選択を議論する空間だ。「現在」の言論を支配する共通了解、社会通念、あるいは偏見に自分もとらわれたままで議論する危険は免れない。実務家とともに霧のなかのピエロを演じることにもなるだろう。実際、同時代に書かれながら後の時代の検証に堪える時事評論は、ごく少ないのである。
試みに三〇年前の総合雑誌を開き、そこで行われる議論を見れば良い。その議論のどれほど多くが冷戦という枠組みによって縛られていることか。さらにいえば、その時代を見つめるよりも、ひと時代前の観念を当てはめて解釈を気取っている文章の方が多い。冷戦に縛られた考え方は、冷戦が終わってからも実に長い間、総合雑誌を支配してきた。時事評論とは現在を語るものではなく、過去を現在に当てはめる文章の別名にすぎないのではないか。書き手としては、そこがこわい
'11.4.20.朝日新聞・東大教授・*1藤原 帰一氏
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