散歩道<4240>
社説・3・11
東北の役割見直し復興(1) (1)〜(2)続く
地震が起きた時、東京のオフイスにいました。三陸沖が震源地だと知りとっさん「大津波が来る」と思いました。
岩手県の知事を務めた12年間、地震と津波は常に気になっていました。明治以降だけでも3回、大きな津波被害を受けたからです。
自然災害は決してなくなりません。被害が出ることを前提にそれをできるだけ減らす「減災」しかない。岩手ではマグニチュウド8.5の大地震と大津波で約2万2千人が亡くなった明治29年(1896)年の規模を想定し減災の計画を立ててきました。
三陸海岸に堅牢な防潮堤を築き、沿岸市町村では定期的に避難訓練を実施しました。でも、今回は備えを大きく上回る事態でした。願わくば、被災者が高台に駆け上がるまでの何秒かを、防潮堤で稼げていればと思いたい。
今後、被災者支援や地域の復旧、復興がすすめられますが、その際、中越地震で被災した新潟県・旧山古志村(現長岡市)の例が参考になると思います。コミュニテーィを意識して支援する方法です。
岩手は昔から、冬の間、雪に閉ざされる過酷な自然のなかで、人が互いに融通しながら絆を頼りに生きてきました。それは多かれ少なかれ、東北の共通でしょう。阪神淡路大震災のような都市型災害への対応は適当ではありません。仮設住宅に機械的に収容する方法は最悪です。
ここまで大きな災害は当面、国が対応するのが常識です。ただ、復旧はともかく復興まで国主導で行うのは望ましくない。どういう東北をつくるか、地域主導で未来を描くべきです。
'11.3.26.朝日新聞・前岩手県知事・元総務相・増田 寛也さん
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