散歩道<4203>
社説・ザ・コラム・非戦・人権 精神を受け継ぐ(2) (1)〜(4)続く
ジヤーナリスト
「2人なら本音を話せるのに、3人では話せない。だれが情報を流すか疑心暗鬼だった」
検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は1割にも満たず。残る9割が自己規制で筆をまげた。敗戦前日の部会で、むのさんはこう主張した。
「明日から日の丸を星条旗に替えて報道することはできない。戦争を煽(あお)った責任に、けじめをつけるべきだ。建物も輪転機も社会に捧げ、我々は全員去って新たな時代にふさわしい人々が新聞を作るべきだ」
むのさんは、その日限りで朝日新聞と訣別し、戦後は郷里の秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を発行しながら、平和や民主化への発信を続けた。
ところが筋を通したその人が、「今考えると、まったく愚かな辞め方だったと」という。
'11.3.9.朝日新聞・編集委員・*1外岡秀俊氏
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