散歩道<4192>
      
                       耕論・オピニオン・相撲のない日本(3)                   (1)〜(4)続く
                          つぶすな究極の格闘技興行     

「見せる」難しさ 
  
 かって鹿児島出身の旭道山という力士がいて、立ち合いの際の張り手が武器でした。手のひらの手首に近い部分を使ったボクシングのアッパーのような強烈な一撃で、久島海を倒したことがあります。だが、いつの間にか封印しました。スポーツならば有効な技のに、おかしいと思いませんか。ノックアウトしたりガードしたりするのは「見せる」伝統芸能としてふさわしきない、と判断されての自主規制だったと私は推測しています。興行として広く愛される為には、スポーツを貫くことは難しいのです。


負担減らす必要
 大相撲の番付けは単なるランキング制ではありません。横綱や大関、幕内、それに優勝という「資格」を得ると、通算の勝ち星が同じくらいの力士でも待遇が全く違います。1位から700位までのランキングが単純に入れ替わるだけではファンは面白くない。こうした特別な権威付けがあることは、日本的な文化であり、ファンもそれを好んできました。しかし一方で、通算勝ち星が同じでも待遇に開きが出るなら、場所ごとに売り買いして、トータルの収支をなるべく落とさないようにと考える不届き者が出てしまう。それら様々な動機が複合して、八百長に駆り立てるのだと思います。
 
'11.2.25.
東京大教授・*1松原隆一郎さん