散歩道<4140>                            自分流に纏めた           
                      仕事力道具は走りながら拾う(2) 誰も行かない所へこそ              (1)〜(4)続く                              

外国人ができる協力とは何なのか  
 ペシャワ−ルのミッション病院に赴任しました。病院が欲しがっていたのは外科医や内科医で、一般診療部の建て直しを考えていたようです。けれど私をひきつけたのは病院の片隅に置かれているハンセン病棟でした。その頃、当病院もハンセン病根絶5カ年計画をスタートさせたのですが、その一翼を担う専従医師は皆無でした。外国人医師である私にできる協力とは何かと考えると、それは現地の行き届かぬところを補い、地元がやりたくともできない医療を支えることではないかと考えました。人のやりたがらぬことを成し、人の嫌がるところへいけばいいのだと。そして私はハンセン病棟へ赴くことになりました。日本人の私の着任には戸惑ってたようです。それでも私は超然主義をとり、名を捨てて実をとる「人畜無害の働き虫」に徹することにしました。ひどいハンセン病との状態を改善し、つらい状況にある患者に益あるようにすればそれでよいと思ったからです。政治的に安定しない国ではやはり様々な対立は避けられないでしょう。しかし追いつめられた弱い立場にある人間は、人の誠意を敏感に嗅ぎ取るものです。下心のない真心で行動すれば伝わる。これは世界中で変わらない人情です。そしてここで10年診療を続けました。

女性ワーカーを誇りに思う
 
この国で女性患者のケアには大変苦労します。厳しい男女隔離の習慣があること、家族以外の異性に肌を見せることがタブーという状況では皮膚症状が決め手となるハンセン病の早期発見は困難を極めた。現地で女性ワーカーを得るのは更に一層困難で、殆ど外国人に頼らざるを得ない。そこで日本の女性看護師を募集するはめになった。女性は市場を自由に歩けない、日本人らしいやさしい態度さえ男性に誤解される。技術的にも、多くの赴任者にとって「ハンセン病」はまったく新しい分野で、必死に学んで2、3年して習得する頃には帰国時期になってしまう。帰国してから取得した技術や語学が殆ど生かす機会が無く、赴任期間は無意味なブランクとなってしまう。仕事上で得になることは何もあリません。それでももくもくと地味な仕事を続ける彼女たちの糧は「患者との触れあいです」。日本の医療現場では希薄になってしまったその体験を喜びとする人だけが、現地での困難を耐えることができるのです。誰かのためになれる。その思いは掛け値のない仕事の原動力です。

'11.1.9〜 1.30. 朝日新聞 医療NGOペシャワール会現地代表・医師・中村 哲さん
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