散歩道<4095>

                             美術展・小泉淳作展
                             平城遷都1300年光明皇后1250年

 今日は'11.1.23、京都高島屋で美術展が明日までということ、今朝の姜尚中氏司会で「NHK・日曜美術館」で紹介されたこともあり(会話で話している人に何人か会った)、多くの見学者が来ていた。鳥海山、岩木山、白山の絵からは、雄大で、厳しい自然の影響を受け続けるが、それに挑戦し続ける人の気持ちが山に描かれている。
 山全体が黒ずみ、黒の稜線、山から受ける暗いが自然の迫力、その山頂に残る雪が強い印象を与えている。最初は、水墨画を描かれた期間が相当長かったようで、その時の描かれたものもここあるようだ。
 また、ジャガイモや、とうがん、筍、花がどれも茎や、小さな花、しわ、皮など一つ一つが生き生きと象徴的に描かれているので何か別の生き物のようにさえ思える。
 襖一杯に描かれた桜の花の絵は、遠くから見たもの、近くから見たもの、広い面をとらえたものと3種類の方法で描かれている。どの絵も、その一つ一つの花びらにも手を抜いたところがないように見受ける。その花弁の多さ、丁寧さ、実に見事である。1枚の屏風を描く為に何年も時間をついやされたと解説されている。また、襖一杯に描かれた蓮の花、部屋をぐるりと囲むように一つ一つ注意深く大きく描かれているが生き生きしているように見える。
 絵を描く為に、その自然の前に立って何度も観察することから始められるらしい。そこ立つと、描かなくてはいけないイメージが浮かび上がってくるのだそうだ。生き物には、絵の中に存在感というものを描くことが、人の気持ちをひきつけるのではないかと言われていた。
 写真を撮ってそれを後から絵にするという技法は間違っていると指摘される。実際に見た絵と写真から描いた絵は、観察したかどうかが、ばれるものだと、言われていた。絵に完全というものはない、自分の判断との妥協だといわれる
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 襖絵に描かれた、鳳凰の絵は、奈良時代の鐘に描かれたものを参考に描かれたと解説されていた。2011年1月31日
 また、これらの屏風絵は1000年の後の人が見て、どんな絵師が描いたのかと思ってくれるだけでいいと、落款されないそうだ。
2011年1月31日
 全体の美術展を観ての印象は、自然の山の黒の絵からは、ずしっとしたもの、又、植物や桜の絵からは
(生きている存在感)希望と明るさを感じることができるように思う。いい絵に出合えたという印象を持つことができたと思う。

関連記事:散歩道<4006>言葉・*1自分自身と交渉している。<検>美術展、

備考:文章には「NHK・日曜美術館」で語られたことも含めて、書いた。