散歩道<3955>
                     世相(193)文化・文化を売ろうと誓った街(1)      (1)〜(2)続く      ・・・・発想を変え
                             追憶の風景フィレンツェ

 初めてフィレンツェへ行ったのが1959年のことでした。最初のヨーロッパ旅行で、ミケランジェロやダ・ヴィンチの作品だけじゃなく、広場や、橋も美しくて、宝石みたいな街と思いながら歩いていてある店の前で立ち止まってしまった。商人のカンですね。「GUCCI(グッチ)」と書いてありました。
 猟銃の革ケースや赤と緑のストライプが入ったキャンパス地のハンドバッグ・・・・。こんな商品は見たこともない、自分が客だったら絶対に買う、と思いました。イタリア文化の香りがある。正式に仕入れて日本に広めようと心に誓ったのです

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その当時僕は終戦で復員して東京の有楽町でいわゆる「闇」で米国製品を売っていました。戦争中に中国・天津の旧租界の商店街で欧米の一流品を見て、「生きて帰れたらこんなきれいなものを売ろう」と思ったからです
 
その店に「ライカはないか」と現れた写真家の名取洋之助さんが、「長さん、売るならアメリカのものじゃなくて、本物のヨーロッパの品だ。これからは文化を売らなきゃだめだ」と欧州旅行に誘ってくれた。そして出会ったのがグッチでした。
 そのあと何度かフィレンツェへを訪れ、「日本で売りたい」と頼んだけれどダメでした。それでもあきらめられなくて、また行って店に突撃したら、たまたまバスコ・グッチ社長(当時)がいて「君か、うわさの日本人は」と声をかけてくれた
 
楽しげに商品説明をしながら銀のシガレットを差し出したので、僕はとっさに胸のハンカチをとってそれを受けました。銀製品は指紋が残るから素手で触っちゃいけない、と名取さんから聞いていたから。そうしたら急に社長が笑い出して「取引しよう」と。あの時の喜びは忘れられない
 グッチのような世界の一流
*1品を売るためには日本の一等地に店を構えなくてはと、銀座の並木通りに店をうつしました。それがきっかけで、エルメスやロベエなど欧州の高級ブランドとも取引できるようになりました。
'10.10.13.朝日新聞サンモトヤマ会長・茂登山長市郎さん

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