散歩道<3901>
オピニオン・強制起訴(2) (1)〜(2)続く
民意は検察権力の上に立つ
国民主権主義なら起訴の是非も裁判も、検察側と弁護側が陪審員の面前で甲論乙駁(こうろんおつばく)を繰り広げ、陪審員が判定を下す当事者主義こそ本流。日本もそちらに向いつつある。民意が多数で示されれば、そこに神意が宿って公正な裁きとなる。VOX
POPULI VOX DEI(民の声は神の声)が民主主義の基本原理なのだ。
この事件の前半は、捜査現場の検事たちと検察上層部の検事たちとの間で、小沢起訴をめぐって、激しい論争があった。「絶対勝てるという120%の証拠が必要」とする検察上層部と、この程度で証拠は十分、あとは法定で争い裁判所での判断を仰ぐべきだとする現場の検事たちの主張が正面からぶつかり合った。最終的に検察上層部の意見が勝ち「不起訴」になった。今回の検察審査会の議決は、捜査現場の検察官たちの主張とほぼ同じ、彼らの逆転勝利ともいえる。
検察がなぜこれまで検察審査会の「起訴すべし」の議決を受けて再審査しても結論を変えなかったのか。検察には「同一体の原則」があり、一度決定を下すと他の者がそれを変えられないのだ。再捜査は形式に終始し、形式的結論を出さざるを得なかった。検察審査会の強制起訴によって事件はようやく原点に戻った。事件のポイントはただ次の一点にかかわる。政治資金収支報告書の不実記載は全部小沢の秘書たちが勝手にやったことで、小沢は何も知らなかったのか否かである。強制起訴の議決がいうように、小沢が何も知らなかったはずがないという証拠と傍証は山のようにある。これは起訴しないほうがおかしい。あとは本気でやる気がある弁護士たちが検察官を代行し、補充捜査をたっぷりしたうえで裁判にのぞむことだ。