散歩道<3900>    

                         オピニオン・強制起訴(1)                       (1)〜(2)続く
                        民意は検察権力の上に立つ         

 小沢一郎の強制起訴で、日本の司法制度は大きく代わる。日本では、起訴の権限を検察官が独占していた(起訴独占主義)。しかも検察官はその権限を恣意(しい)的に行使して、よかった(起訴便宜主義)。そこに検察官の絶大な権力の源泉があった。それがつぶされ、検察の恣意(しい)的な検察権行使に市民がノーといえることになった。
 これは、裁判員制度によって裁判に民意が導入されたのと、同じくらい大きな変革だ。裁判員制度は、英米の陪審員制度を日本風にしたものといってよいが、検察審査会による強制起訴の導入は、アメリカの大陪審員制度を取り入れたものといえる。ある事件を起訴するかどうかは、抽選で選ばれた陪審員たちが犯罪の輪郭を示す証拠を検察官から教示された上で、議論して決める。要するに、今回の検察審査会と同じだ。
 今回の
強制起訴に対し、プロの検察官も二度も「起訴せず」と決めたことを、ド素人の集団がひっくり返すのはおかしいという意見がある。これは前時代的な考え方だ。いま世界の司法制度は、滔滔(とうとう)より多くの民意を取り入れる方向に向いつつある。公訴提起の主人公は誰か、国民主権国家では当然ながら国民だ。かって検察官は天皇の直属の官吏(り)だった。天皇の名の下に国家を代表し公訴を独占した。しかし、国民主権国家では検察官は国民意思の代行者になる。公訴提起に国民の意思が反映するのは当然だ。

'10.10.9.朝日新聞*1立花 隆さん

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