散歩道<3884>  
                     面白い文章
半藤一利様
の話・1,「質をもって勝たねばならぬ」、2、「驕慢の一語につきます」

「質をもって勝たねばならぬ」・
巨大戦艦大和の竣工

 1941(昭和16)年12月16日、対米英戦争の開戦に遅れること8日、世界最大の大和が竣工した。航空第一主義の山元五十六連合艦隊指令長官も、その雄姿を見て思わず「ウム、あるいはこの艦があれば・・・」とうなったという。
 基準排出量6万2315d。全長263b、幅39b。46a主砲九門。でっかい主砲は富士山の二倍の高さを飛び、42キロ先の厚さ40センチの鋼板をぶち抜く。乗務員2500名。
 こんな超強力な大砲をのせる巨大な戦艦を、なけなしの予算をはたいて日本が建造したのも、アメリカにはパナマ運河を通らねばならぬ制約があって、幅33メートル以上の艦は造れない。つまり大艦巨砲の艦隊決戦でだんぜん優位にたてるから。
 「国富の差は量ではかなわぬ、質をもって勝たねばならぬ」という悲願にもとずいたものであった。
 しかし戦争がはじまると大艦巨砲は時代遅れになっていた。不沈艦というものは幻影にすぎなかった。

2、「驕慢の一語につきます」ミッドウェイ海戦の敗北
 1942(昭和17)年6月5日、中部太平洋ミッドウェイ海戦・・・。世界最強を誇っていた日本海軍の機動部隊の主力たる赤城、加賀、飛龍、蒼龍の四空母は、赤黒い炎、黒褐色の煙をふきあげて漂流していた。格納庫にはガソリンを満載した飛行機があり、魚雷や爆弾がごろごろころがっていたため、悲劇的な誘爆がはじまり、手のつけようもなかった。私はかって機動部隊参謀長草鹿龍之介に面談、敗因を問うたことがある。草鹿は表情を固くして、「驕慢の一語につきますといったきり、あとはおし黙った。その言のとおり、ミッドウェイ海戦の完敗は、驕慢からくる油断と自分勝手と命令違反にあることが分かるすべて人のなせることであり、「運命の五分間」などという偶然のせいなんかではなかった。日本の敗戦はこの時、始まる。『大本営秘密日誌』には「しらせぬは当局者,知らぬは国民のみ」と不敵にも記されている。
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