散歩道<3861>
                     講演会桂坂(京都市)のまちづくりで目指したもの

1、今から30年前(1953)この町に眠る古墳の調査を始めた、そこを中心にしてこの町の開発に取り掛かった。ここを(古墳公園)、祭りや、コンサートができ、皆が集(つど)える場所として考えていた。
2、町の道路をループ状にする
(ここには樹木を一杯植える)。道路の幅は住民が道の向こうにも自由に行き来できるように4車線程の広すぎない道路にした。
3、山から町
(洛西ニュータウン・国道9号線方向に向けて、ここに自然の樹木いっぱいの緑道を6本通した、ここを本来は通学路と考えていたそうだ。ここには野鳥が山から町(里)に自然に降りきて、又山に戻ることを期待して作った。当時、堤義明西洋開発社長の自然や野鳥に対する強い思いがあったようである。
4、人と車が共存できるように
住宅の道路の入り口には段差をつくり、運転に注意を自然に促すようにした。スピードは道の出っ張りにより、運転手はより注意してこの道を運転するようにした。
5、真中の道路を石畳にした。ここの石は、
ランス旧ルーブル美術館の石を譲り受けたものだそうで、本来はここでおしゃれな店(シャンデリーゼ通り*1のような)ができることを期待した。又、坂を利用して見えるスロープの背景は、モンマルトルのイメージを頭には描いていた。
6、道路沿いの人工川には水はいつも少しづつ流れるように設計したそうで、多い雨の場合は一気に水が下流に流れるようにした。
(この音は私は好きだ。)
7、当時は京都では文化人という人達が北区や左京区に住んでおられるのが目立ったので、今後は、西京地区にも住んでもらって文化地域としてのイメージを高めたいと期待して、この町が開発された歴史があるそうである。
8、現在は15の町内会(1町内会は20−25軒ほど)があり、祭りや、会合はこの単位で実施。そこには自治会館が町内会単位に建てられている。公園と名の付くものは13ある。運動会や、消化訓練、防災訓練等は
15全町内合同でやっている。
9、京大桂キャンパス
(工学部)の出現は当時の構想には全くなかったそうだが、これが出来た為、信号はできたし、バスの便が本当によくなった。
10、国際日本文化センターは、梅原猛初代所長や当時の中曽根康弘首相等、多くの人の努力により日本文化の発信基地としてその役目が期待されているようで現在活躍中である。
11、最初にここに住むようになった人で20年、その後も多くの
老若人の流入はあるが、この町にも年齢差のギャップ等は、行事や、人々との交流等、他の地区と同様避けられない問題も存在してきている。

'10.9.26.講演会・大阪工業大学工学部教授・道家 駿太郎氏

関連記事:散歩道<587>京大桂キャンパス、<1774>トンボがいない、<2149>2つの音楽会、<2301>自然が決めたルール、<2409>エコ旅行記念桜の花植樹、<2461>大雑把な教育のすすめ、<2582>町内会の運動会・夏祭り、<2818>沸騰都市東京・盆踊り、散歩の仲間、<71>*1シャンデリーゼ通り