散歩道<3844>
講演会・戦争・記憶・想像力・・・文禄の役(壬辰倭乱)をめぐって・・・(1) (1)〜(2)続く
1、秀吉の朝鮮への出兵は、(主に、九州、毛利など西方の武士の兵士の出兵が中心である)。文禄の役(1592-1597)・91回の戦闘、慶長の役(1597-1598)・18回の戦闘、は朝鮮に莫大な被害を与えたといわれる。それらは、書籍戦争、陶器戦争、活字戦争とも評され、当時の朝鮮の文化を根こそぎ日本に持ち帰ったともいわれ、そのため朝鮮の近代化は100年遅れたといわれる。(演者の話)。
2、朝鮮への出兵した最初交戦派と言われた加藤清正*1、福嶋正則らはその後は、日本に帰った後は、平和派に変わる。逆に、最初、交渉派と言われた小西行長らは、交戦派に変わる。そのことがその後、関が原の戦いで前者は、徳川側に、後者は豊臣側につくことになったといわれる。(コメンテーターの話)。
3、徳川幕府は、秀吉の朝鮮侵略との関係を無関係と宣言し、朝鮮出兵に関する事実を公表することを一切禁じていたので、書籍的なものは何も残されていない。朝鮮と日本の間には鎖国は行なわれていなかったし、交易の船の行き来は盛んで、朝鮮の文化は、朝鮮通信使の往来等で自然に日本に入ってきていた。
4、 その後、(江戸中期以降)出版された中で記されたものは主に、書・手紙・日記・見聞録で大部分が断片的である。中には、戯曲化された浄瑠璃や歌舞伎の物語等であり、藩の武将の武勲であったり、加藤清正の”虎”退治であったり、個人を崇拝するようなものに変えられていった。
'10.9.14.講演会・発表者・高麗大学教授・崔 官氏 コメンテーター・国際日本文化研究センター教授・笠谷 和比古氏
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