散歩道<3802>
ザ・コラム・市場システム(2) (1)〜(3)続く
「価値」として守る覚悟持て
○ ○
1990年代初頭のバブル崩壊の後、日本の銀行は膨大な不良債権を抱え込んだ。総額100兆円ものコストをかけて不良債権処理が行われたが、約15年の歳月を要した。その間、日本経済は金融不安と不確実性に包まれ、長い停滞を味わった。格差の拡大も、金融不安が続く中で90年代末から顕著になった。
不良債権処理が遅れた大きな理由のひとつに政策対策の遅れがある。原因はいろいろあるが、なかでも筆者が経験から感じるのは、市場システムの基本的なルールに対する軽視が、90年代に日本で広く共有されていたことである。「軽視」が言いすぎなら、市場のルールを守るために大きな犠牲をいとわないという「覚悟」が欠落していた、と言い換えても良い。
バブル以前から、経済関係の法律や会計のルールでは、不良債権が発生したら、即刻、処理することになっていた。ルール通りにすると、短期間に膨大な損失と制度整備などの努力を余儀なくされたと思われるが、95年ごろまでにはバブルの後始末は終わったはずである。
だが現実はそうならなかった。「市場システムは豊になるための手段だ。市場のルール(手段)を守るために、なぜ我々の豊かさ(目的)を犠牲にしなければならないのか」というのが当時の共通感覚だった。この疑問を乗越えられないために、政策のまひ状態が延々と続いたのである。その結果、経済は機能不全になり徐々に豊かさも失われた。我々は目的と手段を、根本的なところで取り違えていたのではないだろうか。市場経済のルールを守るために、必ずしも市場システムを「価値」として信奉する必要はない、との反論もあるだろう。18世紀の自由主義者は、伝統文化が人々に道徳を与えるので、人々は市場のルールを守るはずだ、と考えた。市場の外から来る道徳が、市場システムを支える、という見方だ。しかし、過去200年の近代化の中で、伝統的な道徳は衰退し、代わって市場の規律を保つほどの強靭(きょうじん)な理念はまだ見つかっていない。
'10..8.25.朝日新聞・一橋大学教授・小林 慶一郎氏
![]()