散歩道<3794>
                          社説・65回目の終戦記念日(2)                     (1)〜(3)続く
                           「昭和システム」との訣別                                             

もうひとつの戦後
 
 「八月やあの日昭和は真っ二つ」(8月8日 朝日俳壇)。この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。天下りや利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の眼にも明らかとなった。
 外交・安全保障も同様だ。普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島として、核の傘の下からヒロシマ、ナガサキの被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。
 割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそ向けてきた「もうひとつの戦後」だった。


任せきりの帰結
 日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。映像は安保改定阻止の運動が何を問をうとしたのかを追う。
 銀幕で人々は語る。「民主主義は私たちがまもらなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。戦後の記憶が生々しかった1960年統治、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするためにはどうしたらいいか、淘汰。たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。
 だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」
 冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国にたより、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとうはしなかった。
 「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。


'10.8.15.朝日新聞

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