散歩道<3790>

                          世相(175)・原爆投下について(2)                       (1)〜(2)続く
                                戦後65年経った今考える

 その考えに立てば、日本に対しては日本が仕掛けた戦争だから、謝罪しなくていいと考え、一方、イラクに対してはアメリカが仕掛けた戦争だから、当然謝罪する必要があるのではないか。
 日本人が世界で始めて経験した、原爆投下の被害は、
(謝罪はする、しないはともかく)、今後、核兵器が使用された場合には、地球上の人類の存続すら危なくなるとも考えられる。その本当の恐ろしさを知っているのは、世界で始めて原爆の被害を経験した、広島、長崎の被爆者の市民である。
 世界から核廃絶をする行動をとるためにも、人類皆の知恵でこれから立ち向かわなければ、それは不可能である。一歩譲っても
(謝罪・言葉で済むレベルははるかに超えているのである)、これらの(広島・長崎)市民を味方に共に行動することは、これから世界に発信していくためにも、大きな力の裏付けとなると考える。


 とに角、戦争の怖さは、人を殺すか殺されるかどちらか選択しなくてはいけないこと、一旦戦争を始めると、たとえ、動機が間違っていても、その戦争をし続けなくてはいけないことである。だから、どんなことがあっても戦争はやってはいけないのだ。

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