散歩道<3788>

                           ザ・コラム・ルース氏と潘氏(3)                 (1)〜(3)続く
                             被爆地で語らなかったこと

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 さて、やはり式典に初めて参加した国連事務総長の潘基文
(パンギムン)氏は多くの人と会い、さまざまな言葉を残してルース氏とは対照的だった。だが、実はそこにも思いを封印した部分があったに違いない。韓国人としての民族の声である。
 長崎、広島を順に訪ねた潘氏は、両市で在日韓国人の被爆者らとも会うことができた。
 亡き夫とともに長崎市内で焼肉屋を営んできた権舜琴
(クオンスングン)さんは「胸がつまって、何を話したか覚えていない」。建設の仕事をしていた夫の仲間たち10人ほどを一瞬にして失った記憶はいまも生々しく、自身も後遺症に苦しんできたが、潘氏の柔らかい手に慰められる思いだったという。
 潘氏は両市で韓国・朝鮮人被爆者の慰霊碑や追悼碑も訪れて献花した。そこでのスピーチを聞いて「言いたいことを押さえましたね」と感じたのは、長崎で韓国・朝鮮人被爆者を支援してきた市民グループの高実康稔
(たかざねやすのり)さん(「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長)だ。
 あの時代、朝鮮人被爆者の多くは徴用によって海を渡り、炭鉱などに送り込まれて過酷な労働を強いられていた。その揚げ句に味わったこの惨劇だ。
 犠牲者はそんな二重の苦難を語ってもらいたかったに違いないが、潘氏はそれを口にせず、碑の設置に便宜を図った両市長への感謝を語った。長崎の碑は市民のカンパで建てられたもの、それを知っていたのだろう。碑は「地球市民の証しだ」ともたたえるのだった。
 国連事務総長の立場に忠実だったのか、日本への礼儀からなのか、あるいは核廃絶への熱意がそうさせたのか。潘氏の思いはくみ取らねばなるまい。
 「原爆は日本の自業自得だ」という受けとめ方は、実は韓国や中国でいまも根強い。加害のことは忘れて被害者らしくばかり振る舞わないでほしい、ということなんだろう。
 原爆の悲惨さを世界に訴えるとき、そのことは深く心しておかねばなるまい。「韓国併合100年」の夏、改めて痛感することでもある。


'10.8.11.朝日新聞・本社コラムニスト・*1若宮 啓文氏

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