散歩道<3752>

                            オピニオン・2010のフットボール(3)                (1)〜(3)続く
                            
愛国心グローバルな目覚め                          

 日本人観も変質 
 無邪気に日の丸を振る若者に眉をひそめる人もいます。日の丸は、郷土愛といった情緒的な感情を呼び起こす一方で、戦時中の記憶から嫌悪につながる両義性のある存在です。しかし私は今回のW杯の日の丸に政治的意味を過剰に読み取る必要はないと考えます。サッカーを通じてみんなの一体感が形作られ、言い方は悪いのですが、盛り上がるためのアイコンとしての日の丸があると感じたからです。
 8強をかけたパラグアイ戦でPKを外した駒野選手を国民は、とても温かく迎えたことを愛国心という意味で考えてみました。
 愛国心は、時に自国民に対しても攻撃的に働きます。2004年のイラク人質事件
*1では、世論の厳しい「自己責任論」がわきあがりました。このときとは単純に比べられないかもしれませんが、自国民に対する反応として真逆のことがW杯では起きました。望外の好成績が状況を好転させた、という面はあるでしょうが、愛国心はうまく働くと非常に寛容になるという例といえるでしょう。
 サッカーにおける愛国心は、日本で最もメジャなスポーツ、野球におけるそれとは違うように感じます。野球における愛国心は、米国という大国の圧倒的な存在を中心に、主に、北中米とアジアの、いわば地域限定の段階にあります。国があって国民がいて、その積み上げの中で代表チームが作られる。
 サッカーでもかって地域性が強かった時代には、例えば70年代メキシコ大会予選をきっかけにホンジュラスとエルサルバドルで戦争が起きた。地域性が発露させるのは、国籍や民族、人種といったものに根ざしたプリミティブな愛国心で、今日のサッカーが形作る一体感とは別のものです。
 今後、現実社会がもっとグローバル化する中で日本も他民族複合国家となっていくかもしれない。人種、民族は違っても同じ国民の一員として、駒野選手に対したように、「ドンマイ」と言い合える雰囲気を作りたいものです。それがグローバル化した世界における愛国心じゃないでしょうか。W杯を見ながら、そんなことを考えました。

'10.7.14.朝日新聞 東京大教授・姜 尚中氏

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