散歩道<355>

                     うつろう100年目の大衆社会(4)他者の欲望ブランド品 ・・・・・・・世相                   4回に分け報告 

                                                            
 日本人のブランド好きにはさまざまな説明が試みられてきた。希薄に成った人間関係の変わりに、物との確かなつながりで自己を確かめようとしている。人は自分がほしいものが欲しい。という気まぐれに見える消費行動。ところが何かを欲しがる心理は、自分の個人的な欲望のように見えても、そこには他者の欲望が入り込んでいる。その欲望を満たす為に消費し続ける。高級ブランドは、名前や価値を多くの人が知っていることで、初めて記号としての意味を持つ、他人のほしいものだからこそ、競って手に入れようとする。そこで意識されるのは常に他者の眼差しである。近代産業社会は、神秘や迷信のような非合理なものを消し去り、科学の合理性と効率の道をひたすら追求してきた。「脱魔術化」と呼ばれる流れだ。とりわけ魔法の世界に近づいているのが現代の消費社会だ。例えばブランド品の価値は、人々のイメージの中に存在しているだけで、いわば幻想のようなバーチャルなものだ。遠い時代に人間は、自然界の聖霊に見せられ 森や岩に畏敬の念を抱いた。その聖なる岩の役割を、今度は消費社会の商品が果たしている。「問題は魔力を見抜く力」という、スペクタクル(壮大な見世物)化する消費社会の中で、対抗する力は衰退している。世界でも最先端の消費文化に覆われている日本の社会は、限りなく魔法の王国に近づいている。日本の消費社会が、小さな芽を出したのは1904年、東京日本橋の三越、日本最初のデパートメント宣言した年と云われている。それから100年消費は悪(あく)とされた時代もあった。ショウウインドウに飾られた華やかなもの夢と欲望は、いつも魔法の糸のように大衆をひきつけてきた。魔法がいつかは解けるものだとすれば、今度はどんな力が大衆社会の人々を結びつけているのだろうか

関連記事:散歩道<146>〜<147>、<検>
世相、

                                            8