散歩道<3536>
美術展・長谷川等伯
写真は雨の中・京都国立博物館前、1時間30分待ちの観客
今回の美術展には数多くの観客であふれている。休日、ウイークデーにかかわらず1時間以上待ちの状況が続いている。とに角多い、団体客も全国からこられている様子だ。私も雨の中1時間30分待った。散歩道<2906>妙心寺と関連する絵画の話に、大まかの等伯の生い立ち等については記述している。彼の実家は日蓮宗の信者であったことり、最初は仏画を中心に絵を数多く描かれたようだ。その力量が認められ、当時の名だたる武将から武田信玄や名和長年等の人物画や日堯上人(にちぎょうしょうにん)像も描く、また色々な山水画や屏風絵も多数描いている。京都に出てからは、千利休などの応援を得ることになる。当時の絵画の勢力地図は狩野家の力が特別強かったが、時の権力者である豊臣秀吉等からも強い支持を得て将軍家の要望に応える大きく大胆な豪華な金碧画「楓図」、「松に秋草図屏風」等を描くことになる。大木の枝振りの絵は、自然の強さと、花の美しさを十分に感じることが出来るのである。仏涅槃図(ぶつねほんず):縦10b、横6bの画面一杯に描かれた絵の迫力に圧倒される。色々な思いがこの中にあるのだろう。
また、南画の影響も受け、水墨画を描くようにもなる。その枯れた絵が墨絵の濃淡の使い方のうまさにより、何ともいえず幻想の世界を描いている。それはかれの人生への行き方を振り返る、回顧としても素敵である。等伯の人生には浮沈みが背景にある。絵師としての最高の地位を得たが、個人的には、華やかさの後に奥さん、子どもとの別れという人間等伯のどん底の悲しみがそこにある。彼の絵から、等伯の記憶の中にある日本海に面する羽咋市の海に立つ何本かの松の様子を感じるのである。現代(2000年)でも、秋から冬にかけてこの位置に立てば、裏日本独特の暗い感じと枯れた景色の寂しさを感じることが出来る。ここは石川県で新潟ではないが、 私が高松から転勤で新潟に赴任した次の年に(1940年)、学会で香川県の医師が新潟にこられた時に、裏日本独特の今にも雨が降り出しそうな夜の景色の暗さに、その先生が恐ろしい、気味が悪いので明るいところを通ろうといわれた話を思いだした。
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