散歩道<3532>
opinion・新世界・国々の興亡<5>
新たな紛争、「介入」から「保護」へ(3) (1)〜(5)続く 自分流に抜粋しました
・・・・紛争防止において平和と正義は重要な要素ですが、両立は可能ですか。
両方を同時に手にするのは無理だと一般には思われています。まず平和、そして正義はその次に、といきたいところですが、平和の基盤がもろければ正義はついてきません。ただ、私は両方同時を目指すべきだと信じています。そのためにも正しい明確な理論と、正しい法の裁きを行う機構を持たなくてはなりません。第2次大戦の戦犯を裁いたニュールンベルグ裁判や東京裁判から50年たって初めて、国連安保理が旧ユーゴやルワンダの国際法廷を設置しました。安保理というのは、どろどろの政治の塊ですから、このような国際法廷を認めるはずはないと、そもそも安保理が「正義の揺りかご」を生み出したらろくなことはないと思われてきました。ところが、二つの国際法廷設置後安保理は介入しませんでした。私は検察官として両法廷に計3年間かかわりましたが、一度として安保理に呼び出されたことはありませんでした。
・・・・「保護する責任」の概念意ついて考えを聞かしてください。
コソボ紛争の際、北大西洋条約機構(NATO)軍が空爆後、安保理の付託なしに現地入りしたことを当時のアナン国連事務総長はとても心配しました。当時はユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領が多数の市民を追放・虐殺したことから、多くの人はNATO軍の行動を支持してきました。そこから「介入と国家主権に関する国際委員会」が生まれました。その報告書「保護する責任」の内容自体はそれほど革命的なものではありません。国家主権は大きな責任を負い、外部監視を遮(さえぎる)ってはならないのが基本です。では、国家が集団虐殺や戦争犯罪といった人権侵害から国民を守る責任を放棄した場合どうなるか。報告書は従来唱えられてきた人道的「介入の権利」から「保護する責任」への発想の転換を求めています。「介入の権利」だとコソボには介入するがルワンダには介入しないといった選択の権利を持ちます。しかし「保護する責任」は選択ではなく規範であり、さらには義務なのです。
'10.4.27.朝日新聞・国際危機グループ(ICG)理事長・ルイーズ・アーバー 聞く人・朝日新聞主幹・船橋洋一氏
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