散歩道<3423>
講演会・「欧米で日本の陶器はいかに愛好されたか?」 自分流に纏めた
最初に日本の絵画が欧米に紹介された時(18世紀)、昆虫や川魚など異文化の絵画として興味本位でそれらを見たと思われる。最初は、絵柄模様を描き、陶器に張り付け、窯で焼いて塗られた色をそこに塗り込めたようで、それは幼稚で、雑のものであったようだ。その後、日本の陶器は、ロンドン博(1862)、パリ博(1867)、景徳鎮、伊万里焼が出品されていた。当時、日本の団扇や扇子が20万本ほど西洋に輸出されたこともあったそうだ。ウイーン(1873)万国博の時に染付大皿を出品。万国博で展示する機会を一つの契機として、当時の日本の陶器が西洋に登場することになる。日本の陶器*2は、その後、これらのものから、茶道具が中心になって日本文化を伝えることになる。
日本の絵画は、ジャポニズムとして、モネーや、マネー、ゴギャン、ゴッホ等、西欧の前衛的な画家に取り上げられるようになる。着物の絵柄模様の中に団扇や扇子が描かれていたり、浮世絵に、歌舞伎の役者や、花魁、北斎(1760-1849)の東海道五十三次の絵など、日本の文化が紹介されることになる。
しかし、王室*1では、日本の漆塗りや、螺鈿、金箔で描かれた容器や化粧箱など随分重宝がられていたようである。
当時から日本は水彩画で、風景や花鳥が中心で詳細な絵が多かったので、広く、大きな影響を欧米の美術、特に陶器部門に与えたとは考え難い。当時、西洋では、陶器類は日本や、中国のように精巧には作られてはいなかったようである。
当時、欧米では日本と中国との違いが区別されていたとは考え憎い。壷や陶器を飾る場合も、どのように扱おうか(飾ろうか)など、その扱には手をもてあましていたのではないかと思われる。
中国が左右対称に飾ったのに対し、日本は対象にはしなかった。”日本の諺に例えば海老で鯛を釣る”という話が、陶器に描かれているが、その意味が分かってその通り海老と鯛が描かれたのかは分からないそうだ。
'10.3.16.国際日本文化研究センター教授・稲賀繁美氏・「欧米で日本の陶器はいかに愛好されたか?」
関連記事:散歩道<2650>*1美術展・蒔絵、<3371>*1美術展・パプルスブルグ家
備考:*2明治22(1889)年、トルコ海軍・エルトゥールル号が和歌山県・串本沖で遭難、587人死亡、69名救助された。その時の積荷が平成22('10)年トルコと串本町民の協力で行われているが、その中に明治天皇からトルコ皇帝に贈呈された”菊のご紋の皿”が陸揚げされている。2010年3月21日
![]()