散歩道<3421>
美術展・古代カルタゴとローマ展
今回の美術展では多くの遺跡の出展を見ることが出来た。祭礼に使われた遺跡や石に刻まれた神や文字、祈りの言葉や、豊作祈願、病気の厄払い、面や、悪霊を払う鈴、や銅鑼タンバリン様の金の板など、埋葬時に使われたと思われる当時の記号や、イニシアル、動物等で表現されている。これらを読むことが可能ならかなり当時のようすが分かるであろうと思われた。
又、生活に欠かせない水やアルコールを保存する為の大、小の水かめ、壷(アンフォラ)、鏡、ウジャト眼等、また、ローマ時代に作られた男性、女性、貴族、子供、道化師など優美な全体像の彫刻や胸像、その技術の高さを感じさせられるものだ。
当時から船の製造の技術は大変高く、その当時の船数10隻を一度に修理できるドックの存在から見ても、随分進んでいたのが分かる。又、戦闘に使われた精巧な鎧や兜の作りは、機能からも又、美術的にも大変な技術であったと思われる実物が展示されている。
また、コインも大変精巧なものが作られており、盛んな商取引の裏ずけとなる。又、ネックレスやイヤリング、指輪等の製法の高度技術や、これらを作るための金、銀、銅、トルコ石、メノウ、水晶等の製法技術が隋分高かったことが分かる。
壁や風呂、部屋に敷きつめられたモザイクの各種のかなり大きな精巧なもの出展されており、当時の貴族や住民の様子がよく分かる。
また、埋葬の仕方もエジプト等の国とは違う埋葬方法が取られていたのが想像できる。棺の上に彫られたものは実に精巧に出来ている石の彫刻等である。
この遺跡には、王の埋葬時に幼児が生贄にされたという記述があるが、その子供は元気な子であったのか、病人だったのか、亡くなってから埋葬されたものか、又は、そこは子供の埋葬場かの判断は、現在の所まだ確認されていないということである。
この国は小国ではあったが、当時から長期に亘り地中海貿易での交易基地として繁栄していた。オリーブ油等が盛んに作られていたようだ。
また、小国であった故に、ローマからは何度も攻められたが交易が盛んで、何度も立ち上がりを見せたと云われている。その後、イスラム国家の征服の影響を受けることになる。
'10.3.12.京都文化博物館、
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