散歩道<3402>

                世相(152)評価について、1、オリンピックで、2、会社での評価について、3、商売について ・・・・・随筆       ・・・・・発想を変え

1、オリンピックで、
 今回のオリンピックでも、時間だけで争う以外の競技は全部評価の対象となりエアリアル、ジャンプ、フイギュア等、技術や着地、姿勢、美しさ、観客へのアピールなどが評価される。例えば、公平を期す為にフイギュアの場合は5ヵ国の評価委員から出された最高と最低の基準が外されその中の3人の合計点数となる。始めて会った選手に観客は実際今演じられたものと、評価におやと思うこともあるのではと考える。その背景に、今まで選手が色々な競技で残された記録が評価委員に配布されたり、委員に選手の印象が強く残っているのだと思う。又、その会場の観客の熱烈な大応援の声もある。それ等を考慮せずに評価は下せないのではないかと思う。それはある意味では公平であり、逆にある意味では不公平ではないかと思う。

2、会社での評価について
 社員の場合の部下の評価について思い出した。そこには2〜3年の能力評価や半年の業績評定がある、特に前者については、今の評価の期間だけでなく、彼(部下)の将来の一期間に過ぎないので低くは、評価出来難い思いを感じるのである。その為、無難に今まで通り、何ら変えることなく次に引き継ぐのである。会社が期待している人物は、そんなレールの上に乗せるような圧力を(評価者は)上から大小に係らず掛けられており、会社全体がそのルールで動いているのだと思う。そのような人物は幸せである。そのような自分にある状態を感謝する気持ちがあっていい。しかし、そのようなことを自覚している人は殆どいない、むしろ、自分の力で会社から評価させていると思っているのが、多くの社員の姿である。
 評価者が困るのは、いい評価を自分として行っても、それが自分
(部下)の行動に対して行ったという上司の考えを理解せず、むしろどちらでもいいんです(勝手にして下さい)といわれた時には、いいようのない寂しさを感じるものである。評価が低迷状態が続いている人はどこかの時点で、その壁を打ち破る努力をする必要がある。出来れば直接、上司とこの壁を確認できるような話が出来る関係に持っていければ、尚いいと思う。

3、商売について
 私は今は、文章を書くことに、生甲斐を感じ毎日継続して書いているのだが、ある尊敬する人から、今度自宅へ来る時は、商売で来るのか、訪問したくて(会うために)来るのかを明確にしてほしいと言われ、正直の所、自分の立場を真剣に考えたことがなかったので、その言葉に失望した。この様なページを開いている関係で、(今のところ実績らしいものはないのだが)どうも商売人と思われているらしい。正直な所、自由人で通したい自分である。(尊敬する人との関係でこの行は後で削除するかもしれない、)

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