散歩道<3285>

                 面白い文章半藤一利様の話・「日本の官僚は不愉快だ」・「刀をおさめる時期を・・・・・」

「日本の官僚は不愉快だ」・
小泉八雲に解雇通知・1903((明治36年)

 1903((明治36年)1月のある日、小泉八雲のもとに「三月末デ契約ヲ続ケルコト不可能」という東京帝国大学文科大学学長からの解雇通知が届けられた。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、長く勤めた大学からこのような、たった一片の通知状で解雇されたことを、心の底から悲しんだ。日本人の礼節や人情の美しさを、ひたすら礼賛してきた八雲には、大学のこの態度はとうてい理解できなかった
 八雲はセツ婦人を「なぜ西洋のマネをしますか。日本にはもっと美しい心があるのではありませんか」とよくたしなめた。八雲は、地味ながらやわらかで、人を絶えず思いやる、日本の心を日本人より愛していたのである。
 しかし、明治日本の政策は、金のかかる外国人教師にかえて、外国留学した日本人教師による教育へとすでにきりかわっていた。大学当局の目には、いかに人気があろうと八雲はもういらない先生である。「日本の官僚は不愉快だ」
 八雲はさびしい気持ちを知人への手紙に書いた。


「刀をおさめる時期を・・・・・」・対ロシア開戦の御前会議・1904((明治37年)
 明治天皇の「もう一度交渉してみてはどうか」という言葉は、すでに空しかった。外交交渉で譲歩に譲歩を重ねてきた日本は、満州と朝鮮半島から完全に手をひけと、土壇場まで追い詰められていた。列強が恐れる大ロシア帝国は日本が気でも狂わぬかぎり挑戦してくることはない、と思い込んでいる。満州に戒厳令をしき、二月三日にウラジオストック在留の日本人に退去命令を出した。
 1904(明治37年)二月四日、ほぼ半日をかけた御前会議は、「帝国政府は自衛のため、ならびに帝国既得の権利を擁護するため必要と認むる独立の行動をとる」ことを決定する。
 つまり、いよいよ帝政ロシアを敵として戦うことを決意したのである。
 
閣僚はもとより軍部も又、勝利の成算はない。期するところは、勝敗は問うところではなく最後まで戦うのみ、満州総司令官大山巌は出征にさいして、海相山本権兵衛に「戦いはなんとか頑張ります。刀を鞘(さや)におさめる時期を忘れぬよう頼む」といった。