散歩道<328>
最近の面白い本(3)・1、吉田秀和様・物には決まったよさはなく・2、長谷川櫂様・古典について
1、モーツアルト*Aや、シューベルトの音楽で、音がきれいとか、気持ちのよいふしがあるなどというのは、まだ入り口の話にすぎない。私たちが何度でも、もどってきて、繰り返し聞いてあきない音楽というのは、その先にある。本当の音楽は私達を不安にし、悩ませ、しかも魅了して離さない働きをもつものだ。同じことは読書にも通じる。本の読み方に2つの方法があるらしい。新しいことを知る為に読む本と、読書の対象になる為のもの。読書とは同じ本を何度も読み返すことをさすのであって、初めて読むのは読書のうちに入らないといわれる。音楽でも絵画と同じような経験をする。この文章を読んで、(朝日新聞(15.2.14)に書かれた「古典について」(俳人・長谷川櫂様)。)という文書を思い出した。この文書を(一部)紹介しよう。
2、新しい命が母親からしか生まれないように、新しいものは古いものからしか生まれない。新しい命をこの世に送り出すために母親は自分を開く。つまり、自分を殺す。私の句が何処かで「新古典派」「新古典主義」といわれていた。揶揄(やゆ)しているのならとりあわないが、そうでないなら「新」と「派」は余計。古典はいつでもだれもが学ぶべきもので「新」も「派」もない。古典というと、はるか昔に絶滅して、今は博物館の冷たい大理石の台に横たわる竜の死骸か、何かのように考えている人がいる。これはいささか愚かな早合点。正確にいうと、古典とは「時間を超えて生き続けているもの」。わずか1回の短い生を生きている我々以上に、最もよく生きているもの。むしろ我々の方が古典よりも先に台の上の死骸になる。学ばずにおく手はない。古典を学ぶとは1も2もない幾度も自分を殺すことである。そして、言葉のはるか彼方(かなた)から響いてくる言葉の声に耳を澄ます。個性、才能、自己表現。そんな恥ずかしいものを見せびらかしたい人は勝手にみせびらかしてくれ。早晩、時間がきれいに洗い流してくれる。(俳人・長谷川櫂様)。
この文章に接した時、成る程と思いましたが、勇気を持って、洗い流されないように自分の文章で書きつづけようと考えました。
備考:長谷川櫂様は、朝日新聞・俳壇・歌壇の選者なのです、文章からしてもう少し年上の方と思っていました。失礼しました。
関連記事:散歩道<716>丹羽宇一郎様・古典について、<1364>音楽展望・モーツアルト*A(1)〜(4)
備考:長谷川櫂様がNHK'08.7.9.そのとき歴史は動いた「松尾芭蕉」の講師として解説されていた。