散歩道<3259>
戦争・NHK・報道番組・日米開戦海軍はなぜ誤ったのか(1) (1)〜(2)続く
'09.12.7.NHK「日米開戦海軍はなぜ誤ったのか」という番組を見た。「海軍反省会」と称し、軍令作戦室の参謀の当事者達大将から、中将までの告白記録がテープで225巻(400時間)残されていた。その内容を聞いて、半藤一利さん、澤地久枝さん、作家・戸高一成さんの対談が行われた。そこでの話で記憶に残こることがある。
この戦争で亡くなった日本人は310万人(内訳・軍人230万人、民間人80万人)にも拘らず、その貴重な経験すら忘れ去られようとしている。
海軍作戦本部には選りすぐった秀才の集まりであったが、(この会議に出席していた多くの人も)戦争の経験者は(戦争中に殆どは亡くなっていった)少なく、又、(残された人は)軍事的には素人であった。過去の成功体験(日露戦争*1の勝ち戦)だけが大切に伝えられ、失敗体験ほど貴重なものはないのだが、失敗体験は伝えられていなかった(それは責任問題が出てくるということでもあると、考えられるという)。その組織にいた人の発言でも、軍備に関しても、帳面を合わせるだけの管理で、作戦を展開できるようなものではとてもなかったという。(その残っている人でも現在93才で、今は殆どが亡くなったらしい)。
今は物語としての戦争が伝わろうとしているが、物語の昭和史は要らない。
軍令部総長(S.7〜9年間)にそのバックの力を利用しようと、戦争経験のある宮家の「伏見の宮」を担ぐことになり、予算の分取(ぶんどり)を容易にしようとした(これは謀略であるとも考えられる)。その為、海軍軍令部の力が強くなった、(米国の力を知ってる人は、米国との戦争に賛成していなかった)反対意見を述べる人は、組織から排除されていったので、組織に反対する思考能力はなかった。組織全体が仲良しクラブであった。
戦争責任を逃れる為、軍令部総長職から宮家を外し、第一委員会がそれに代わるものになった。
その計画の下(もと)にあるのは、予算の分取(ぶんどり)である。とに角、予算獲得にこだわった。(S,19年はGDPの実に85%が軍事費であった)。国家戦略と言う名の下に予算獲得に集中した(大戦艦を造る為である)。その第一委員会が開戦に導いたとも言われる。陸軍、海軍があっても国がないという状況だったという。(自分の省庁の事ばかり考えており、国の将来の事は考えていなかった)。
作戦本部で作られていた大方針では、南部仏印戦線で英・米軍から生命線である石油を止められるという経済制裁が行われ時、日本軍はそれを理由に開戦するということはすでに決められていたのである。その(紙上で作られた作戦)シナリオ通り開戦したといわれる。
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