散歩道<3203>
社説・新政権の日本・「学校自治」に変えてゆこう(1) (1)〜(3)続く
こんな話を聞いたことがある。
ある小学生の母親が、子供に給食でなく弁当を持たせたいと考え、担任の先生に相談した。
「私の一存できめられない」と担任。校長は「教育委員会に尋ねてみないと」と言葉を濁した。市教委は「県教委」に、県教委は「文部省に」聞いて欲しいと」答えた。文部省に電話した。「いや、それは教育委員会が判断なさることで・・・・・」
結局この件はうやむやになった。
教育の「55年体制」
文部科学省が教育委員会を通じて、はしの上げ下おろしまでコントロールする、学校は何も決められない。一方で文化省、教委、学校のどこが最終的に責任を持つかはあいまいだ・・・・。
極論すれば、これが長く続いた教育の「1955年体制」だった。
戦後教育は、学校が軍国主義に取り込まれた反省から出発した。1947年にできた旧教育基本法は、政治や官僚機構の介入に歯止めをかけようとした。教育行政は、住民が選挙で選ぶ教育委員会に委ねられた。
だが、この精神は早くから骨抜きになる。自民党結党の翌56年、教育委員公選制が廃止され、かわって地方教育行政法が制定された。文部省が「指導・助言」という形で実質的に教委を縛る仕組みが、出来上がった。
文部省の施策には自民党の文教族が影響力をもった。日教組との対立が激しく、そのためにも、教育現場を上から押さえつける必要があった。
中央集権型の教育システムは、戦後の日本の高度成長を支える機能は果たした。産業社会は多くの優秀な人材を求め、親は子に学歴をつけさせようと必死になった。文部省は画一的な手法で、教育の大衆化を進めた。
'09.10.19.朝日新聞
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