散歩道<3178>
戦争・ガダルカナル作戦とインパール作戦の報道を見て考える(1) (1)〜(2)続く
最近'09.9.NHK・hで報道された、ガダルカナル作戦とインパール作戦の報道を見た。2つの作戦は実に悲惨なものである。この島に送られた日本軍兵士は戦闘で亡くなった以上に、食料品の後続補給がなされなかった為に、栄養失調による衰弱による、全滅に近い状況になったのだと事実が報道された。(夜の闇に拘わらず夜間用サーチ眼鏡が使われていたのではないかと考えられるが、的確にこちらの進軍状況が分かっているように敵軍は、攻撃してきたという)。ガダルカナルでは、当時の司令官実名判明は、殆ど全滅に近い状況にもかかわらず、当時の本国の連隊本部への連絡は、「善戦している」とし、補給についての要求は全然なされていなかった記録に残っている。また、この島の兵士に戦争を中止し、撤退命令が下されていることが決定したが、通信機器による連絡が敵軍に知られるという心配から、この隊に届くまで3週間後になったため、その間80人の兵士が亡くなったといわれる。この島を援護、補給する計画も本当は最初から本部にはなかったのではないかと思う(このことは、死ぬ以外に無いということに等しい、又、捕虜になるより自決が取決め事項であった)。(又、この島を死守することが、アメリカ海軍の生命線で、大変重要であった為、余計に攻撃がすごく日本の舟がこの島に近づくことができなかったのかもしれない)。その証拠は、この地で、意識不明の状態で捕虜になった元兵士の話「その後、国から補給船が来ることは一度もなかったと」からである。これほど馬鹿な話を知ると、そこで亡くなった家族の人達は召集をかけられ、戦地に行った話を聞くことなど出来るものではない。
どうも日本軍兵士は、1894年の日清戦争以降(白米にありつけるということで軍隊に入った人も多かったといわれる)、1904年の日露戦争(司馬遼太郎さんの203高地の戦いでもそうだ)、1914年の第一次世界大戦、1939年の第二次世界大戦開始から終りまでづっと、部品のように扱われてきたのではないかと思う。死と直面する前線に行くのは発言力のない国民で、一方、本土で、死の危険から一番遠くにいて指示だけ出していたのは、本来一番先に前線に行かなくてはいけなかった、軍人や役人だったのではないか。
この考えは日本では、江戸時代には、士・農・工・商*1という名の下で、また、明治以降も、底辺に暮らす人を作っておくような発想が実行にうつされるか、出来上っていたのではないかとすら考える(官僚と民間)。現在は、戦争こそ無い平和で、平等の社会のように見えるが、必要悪のように暗黙のうちに、最下層で生きる人を作る、格差社会をよしとした考えがあるようなことは決して許されてはいけないと思う。以上のように考えた背景に、次ページのアメリカの現在の考えと関係する。
関連記事:散歩道<599>アイデンティティ・関係ないよが根底に、<617>地球温暖化とハリケーン・州兵、<924>時流・安全求め、分断進む米社会(1)〜(3)、(富裕な1%の家庭が全国民の資産の40%以上を保有することになる)。<3144>*1、美術展・だましえ・江戸時代の身分制度、<検>戦争、