散歩道<3172>
講演会・立憲政治と政党政治・・・・伊藤博文の遺産(4) (1)〜(4)続く
右は韓国では、目の上のたんこぶと嫌われた朝鮮総監府の建物、戦後は国立中央博物館として使われいたが、現在は別の場所に移転した。
文明国の論理・・・・日本統治から韓国統治へ
「自分がこの国に統監府の長として来たのは、この国を日本同様、世界の文明国にし、親日的国家ができることを期待したのだと思う」。
「政府は国民を愛することを第一の目的とすべし」。と信じていた。
「政府の役人が常に国民の生命財産を守ってやらなくては、国民が国の産業の成長に全力を尽くさなくなることは間違いない」。(韓国の支配エリートを叱咤激励したかったのだと思われる)。
伊藤は、韓国統監府の長(1906.2)になった時、文官の長であった彼には、軍官からの強い圧力があったといわれる。日本国内においても、軍の力が強くなりすぎて平和文明国家を目指した彼には危険に見えたと考えられる。陸軍の改革をし・統帥権の独立化を防ごうとしたのであろう。(シビリアン・コントロールの先例を作りたかったのが、彼の本当の目的だと思う)。 しかし韓国民からは彼が目指した本音は理解されずに、殺害されてしまったのだと思うと、残念である。2009年11月3日
'09.9.30.国際日本文化研究センター准教授・瀧井 一博氏
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