散歩道<3085>
opinion・09政権選択・8月30日の夜に・万歳より世界にメッセージ(3) (1)〜(4)続く
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選挙のたびに、若者の政治への関心の薄さが指摘されます。オバマ陣営のインターネット利用のうまさが注目を集め、日本でもという声があるそうですが、それは「オバマ」という優れたコンテンツ(実体)があったからこそです。
大統領選では、自分の昼食代を削ってまで5jを候補者に寄付した学生も少なくありませんでした。友人の教師の中には半年休職してまで選挙ボランティアに打ち込んだ人もいます。「この人のためなら多少の不満や犠牲を惜しんでも」と思わせることが、政治指導者にはかかせません。日本でも選挙運動にネットを導入すればおのずと若者たちが集まってくる、「うねり」が生まれるなどというのは、単純過ぎる見方だと思います。
それよりも、政治家が若い世代の心を揺さぶる存在になっているかがとわれます。自分は若者が駆けつけたくなる、自らを重ね合わせたくなるあこがれの存在だろうか。食費を削ってでも応援したい候補者だろうか。そう自問している日本の政治家がどれだけいるのでしょう。
日本の選挙戦を見ていると、以前、心を揺さぶるのは「情」に訴えることでしかないのか、という印象を受けます。毎朝、駅前に立って演説すれば票を取れる、自転車で走って回って手を振れば、握手をして回れば支持が得られる・・・。彼や彼女達は誰に、何を訴えているのでしょう。有権者は本当にこれでいいと思っているのでしょうか。
日本の政治家が言語による説明責任能力に乏しいのは、身近な記者や親しい報道機関幹部にプライベートに語ることに慣れてきたため、公の場で説明・説得する必要性や技能がないがしろになってきたことも一因だと思います。
その点ではメディアの側にも責任がある。記者会見が「建前を聞く場」に陥っていることをよしとしていませんか。「もうろう会見」の場で、同行記者から何も疑問が出なかったのが象徴的です。もっと緊張感が伝わってくるやりとりを展開してほしい。
日本の政治が「人類学的」に行われる以上、記者の取材方法も「人類学者的」でなければならないのは理解できます。ですが、フイールドワークなど人類学の手法には調査対象と一体化し過ぎる危険が常に付きまとうように、「○○番」や「ぶらさがり」といった現状のスタイルで取材する記者のみなさんにも、政治家と一体化し迎合し過ぎる危険があるのでは、そろそろ日本の政治報道も「CHANGE」してほしい。
たびたびオバマに言及しますが、彼は大統領になるまでにクリントンと22回、マケインと3回、公開ディベートを行いました。これが今の「オバマ大統領」を作ったといえます。司会はジャーナリストが中心です。言葉の応酬も質問も厳しさは日本の党首討論会とは比べものになりません。何でもアメリカ流がいいとは言いませんが、政治取材のスタイルや慣行は、今回の選挙が終わったら見直してはどうでしょう。報道が変わることで政治のあり方や政治家の意識も変わるに違いありません。
'09.8.27.朝日新聞・慶応大学教授・渡辺靖さん
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