散歩道<3065>
面白い文章・半藤一利様(24)・21世紀への伝言(文芸春秋)から
「今や弾丸尽き水涸れ・・・」・硫黄島守備隊の突撃・1945(昭和20)年2月
戦闘が始まる前から、守備隊の総指揮官栗林忠道中将はいっていた。
「硫黄島は皇土の一部である。もし本島が占領されることがあったとしたら、皇土守護は不可能である」
それだけに米軍を迎え撃った硫黄島守備の日本軍は、善戦力闘しぬいた。米軍の損害は死傷二万五八五一人、上陸した海兵隊員の三人の一人が戦死または負傷した。日本軍の死傷二万数百人(うち戦死一万九九〇〇人)太平洋戦争で、米軍の反攻開始後その損害が日本軍を上まわったのは、硫黄島の戦いだけである。
1945(昭和20)年2月19日の米国の上陸いらい戦いつづけた日本軍の、組織的な抵抗が不可能になったのは三月一六日である。栗林中将は、一兵の救援も送ってこなかった大本営へ、決別の電文を送った。
「今や弾丸尽き水涸(か)れ、全員反撃し最後の敢闘を行わんとするにあたり、つらつら皇恩を思い、粉骨砕身もまた悔いず・・・・・」
三月一七日、生き残った将兵の突撃が敢行された。
「迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」・ポツダム宣言の発表・1945(昭和20)年7月
数年前にベルリン南西郊外にあるポツダムの、ツェツィリエンホフ城を訪れたことがある。1945(昭和20)年7月17日から8月2日まで、スターリン、トルーマン、チャーチル(後半はアトリー)が古今で会議をひらき・・・・左様、世にいう ポツダム宣言(日本への降伏勧告)は、会期中の7月26日にここから発せられた。
宣言は、日本軍隊の無条件降伏、日本国軍主義の永久追放、戦争犯罪人の処罰など降伏八条件をあげて、
「右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす」
と、原爆投下を予告していた。しかし、日本政府と軍部は・・・・。
いずれにせよ歴史の現場に立つつもりで赴いたのに、世は無情、三巨頭の歴史的会談の行われた接見室は、放火により炎上、真っ黒焦げのままで、観光客は立ち入り禁止というお粗末。
聞けば放火は7月26日から27日にかけての夜という。犯人は昭和史にくわしいヤツかもしれぬと思った。
関連記事:散歩道<検>半藤一利様の面白い文章