散歩道<3066>
面白い文章・半藤一利様(24)・21世紀への伝言(文芸春秋)から
「閣下は娯楽、私は地獄」・沖縄地上部隊の最後・1945(昭和20)年6月
「閣下はときに残酷な顔をみせる。沖縄防衛の第三二軍が南部終結による時給抗戦をきめた五月下旬、大本営は沖縄線をあきらめ、総力を本土決戦に傾注することに戦略を切り替えていた。そうとも知らず、第三二軍の将兵は五月三〇日零時、最南端の摩文仁をめざして出発した。そこには十数万もの住民が逃げ延びて終結していた。
沖縄戦はそれから二十数日間つづけられる。組織だった戦闘と言えるものではなく、沖縄県民をまきこんでの”火と鉄の暴風”による虐殺に近かった。県民の死者は軍関係一万四八〇〇、一般県民十五万をこえる。
1945(昭和20)年六月二三日、軍司令官牛島萬大将と参謀長の長勇中将は、敗戦の責任を負ってならんで自決した。長中将が「お先に」といい、そして苦笑しながら付け加えた。
「そうか、閣下は娯楽、私は地獄。お先に失礼してもご案内できませんな」
大本営が、「本土防衛の捨て石にする」とした沖縄戦はこの日に終わった。
「為萬世開太平」・終戦の詔書の中に・1945(昭和20)年8月
八月は遠い敗戦を思う月である。六日の広島、九日の長崎、そして満州へのソ連侵攻、一五日の天皇放送と、あの惨めでった日々を私も思い起こさずにはいられない。新人類たちに「じいさん、そんな昔話、いい加減ニシナヨ」「タマオト放送? まあ、エッチな人・・・」などといわれても、1945(昭和20)年八月の、この三つの歴史的日付は死ぬまで消し去るわけにはいかない。
私は毎年八月には、終戦の詔書のなかの「戦陣ニ死シ職域ニ殉ジ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヒヲ致セレバ五内為ニ裂ク」をぶつぶつ経文のようにとなえて起きるのを、毎朝のしきたりにしている。
そして一五日には、終戦時の首相鈴木貫太郎筆で「為萬世開太平」と書かれた扇子を一日中はなさずに持ち歩くことにしている。いうまでもなく「万世ノ為メニ太平ヲ開カント欲ス」と詔書にある言葉である。
戦争終結と永久平和希求の決意のこめられた美しい言葉を原点に、新しい日本は今またこの日を迎える。
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