散歩道<3062>
面白い文章・半藤一利様(23)・1、「特殊な兵器を迅速にしようせよ」・ 2、「私は行かないよ」
1、「特殊な兵器を迅速に使用せよ」・”特攻”がスタートを切った日1944(昭和19)6月
作家大岡昇平は語った。「自己の死をかけた特攻操縦士の意識と行動に、私は最高の道義を認める」と。
同感である。それゆえにいっそう十死零生の特攻攻撃で死んだ多くの有為の青年の無念について、生き残ったものは深い思いをいたさざるをえない。
史料によれば、肉弾をもってする特攻兵器が考えつかれたのは、1944(昭和19)年春のこと。しかし、それが正式の作戦となったのはいっか。スタートとなった日は特定できる。同じ年の6月25日に開かれた元帥会議においてである。サイパン島奪還は不可能、敗戦が決定的となったこの日の会議で元帥伏見宮がいった。
「戦局がこのように困難となった以上、対米対策として、なんとかして特殊な兵器を考案し、迅速に使用せねばならない」
つまり、肉弾攻撃を兵器として採用することを、公式に承認するかのようなこの重大発言がキッカケとなった。人間の生命は兵器ではないのだが・・・・。
2、 「私は行かないよ」・松代大本営の建設始まる・1944(昭和19)9月
サイパン・グアム・テニアン諸島が攻略され、もはや戦争に勝利がないことを知った日本陸軍は、本土決戦によって最後の一兵まで戦うという悲痛な決意を固めた。東京は海に近く平野にあるし、到底守りきれない。そこで大本営を長野県の松代へ、という案をたて、ひそかに築城の工事を始めることにした。1944(昭和19)年九月中旬からそれは開始された。
計画によれば、象山、皆神山、狼烟山の三山をくりぬいて、延長10`の坑道式大防空壕をつくる。総工費六千万円、長野県下の住民も総動員し、のべ人数75万人。丹那トンネルをしのぐ未曾有の大工事が昼夜兼行で敢行される。本土決戦は陸軍主導の戦いとなるゆえ、政府にも海軍にも知らされずん、工事は進められた。
が、1945年春にはそのことが、広く知れわたった。昭和天皇の耳にもその秘密工事のことが伝えられた。「帝都固守」による戦死をも覚悟している天皇は、このとき不快げに言った。「私は行かないよ」
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備考・21世紀への伝言(文芸春秋)から