散歩道<3061>
面白い文章・半藤一利様(22)・21世紀への伝言(文芸春秋)から
今年は戦後64年ということか、テレビ、新聞、戦争に関する記事が多い、どうも戦争を経験した人たちが高齢になって、伝えておかなくてはいかないことが多くあることに気がつかれたことのように報道されている。そこで、半藤一利様さんの文章から、終戦前1〜2年に絞って記事を報告します。
1、「国家に対して申し訳が立つ」・2、「捕虜になったみたいだ」・
1、「国家に対して申し訳が立つ」・インパール作戦の発動・1944(昭和19).3月
太平洋戦争において「悲劇の」という形容詞が冠せられる戦場は、玉砕の島々をはじめまことに多い。ビルマのインパール攻略戦は、無謀かつ無計画な作戦で、悲惨という点では、トップに位置しようか。
作戦に参加した弓・祭・烈の三個師団の将兵は、総計7万1000名。そして戦死・死没者は3万6300名の多数にのぼっている。しかも、どの師団も、戦死者よりも病気・栄養失調・疲労による行き倒れや戦死の方がはるかに多かった。
最高指揮官は河辺正三大将と牟田口廉也中将。
「私たち二人は盧溝橋事件のきっかけをつくったもの、あれが拡大して太平洋戦争になった。今度は大勝してみせる。今次大戦の遠因をつくったわれわれとしては、国家に対して申し訳が立つ。やるよ、インパールは50日で落としてみせる」
新聞記者に語った牟田口の大言壮語である。1944(昭和19)年3月8日、牟田口の野望のもと、ずさんな作戦は開始された。
2、「捕虜になったみたいだ」・国民酒場の開業・1944(昭和19)5月
飽食の今日では想像もつかないモノのなかった時代のことをやっぱり書いておきたい。
戦争中に「国民酒場」という店が登場。売るものは日本酒なら一合、ビール大ビン一本、生ビール一杯だけ。それでも配給の酒では足りぬ飲んべえには、干天の慈雨とうべきもの。それにしても、どうして酒を飲むものだけが国民なのか。おかしな話である。
東京では1944(昭和19)年5月5日から開店した。開店1時間前から歩道に四列縦隊の行列ができ、定数がくると「今日はここまで」ちょん切られ大騒ぎとなった。ほとんどは立ち飲みで、左手にカタチだけの塩漬けの菜っ葉がお通しがわりにのせられた。
作家高見順が『日記』に書いている。
「ひどく惨めな不快な感じだった。なんだか捕虜になったみたいだ。こういう不快感に無感覚になることが恐ろしい気がさせられた」
日本酒を一合、チビリチビリで惨めな身持ちにならなかったら、そっちのほうがどうかしている。
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