散歩道<3044>
                    opinion・私の視点・人事権掌握・党首の公約に(3)            (1)〜(4)続く
                                 官僚改革   

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 じつはこの人事権の問題こそが、官僚改革、「政治機能の強化」の核心に他ならない。
 長い間、日本の官僚(幹部国家公務員)の人事は事実上、官僚自身が自分の都合がよいように計らう”お手盛り人事”だった。政治(大臣)はそれをそのまま追認するに過ぎなかった。任命権者だと言い張って大臣が人事権の聖域に踏み込めば、官僚は組織的に抵抗し、行政を機能麻痺
(まひ)に陥らせてしまう。
 もしも会社の人事を社員たちが決めたらどうなるか。社長はまったく求心力が働かなくなる。社員は社長を怖くないから、自分たちの意向に反する指示には耳を傾けない。さらに社員たちはお互いの絆を強めて組織的に動くようになる。
 日本の政治と行政の関係、もしくは政治家と官僚の関係は、それに近い、歴史を見ても、他の国々と比べても、これほど異常な政と官の関係を私は知らない。
 そもそも選挙によって国民の信託を受けた政権が、その政権公約(マニフェスト)を実現するために最適な人事配置をするのは当然のことだ。それができなければいかに政権交代をしても基本的なことは何も変わらない。それどころか民意より官意が尊重される政治では、選挙そのものが無意味になりはしないか。
 もちろん、日本の政治がこれまでこの問題に無関心であったわけではない。
 「政治主導のための官僚改革」をうたい、それなりの改革が施されてきた。首相官邸の機能強化、経済財政諮問会議の設置、首相補佐官制度、あるいは副大臣、政務官制度などが、それである。
 ところがこれらの改革は問題の核心、つまり人事権の問題からそれていたために、必ずしも「政治機能の強化」に繋がっていない。むしろ内閣の肥大化や複雑化を招き、官僚の権限を強めた面も少なくない。先の例でいえば、社長に人事権がないまま、社長室のスタッフを拡充したり新しい会議を設けたりしても、社長のリーダーシップが強まることはあり得ないのである。
 過去の改革の成果の乏しさ、相次ぐ官僚組織の不祥事や劣化現象、くわえて小池百合子防衛相
(当時)による事務次官の更迭騒動や、渡辺喜美行革相の孤軍奮闘などにより、一般の人たちにも次第に「問題の核心が」が見えてきた。政界では袋叩きにされた渡辺氏の自民党離党を、世論のほぼ8割が支持したという事実からも、それはうかがえる。
 機は熟した。

'09.7.30.朝日新聞・元経済企画庁長官・田中 秀征氏


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