散歩道<3040>
                   ザ・コラム・ポリティカ・ニッポン変えちゃいけないものもある(2)         (1)〜(3)続く
                           
政権選択の夏

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敗戦から65年目、日本は「政権選択」をかけた天下分け目の夏である。政権政党である自民党に、かくも逆風が吹いている選挙はかってない。衆院解散か麻生おろしか、自民党のゴタゴタにようやく決着をつけた21日の両院議員懇談会で最後に発言した古賀誠氏の発言が耳に残った。
 「国を守るには平和でなければならない。あの愚かな戦争で、250万人の命を失い、ヒロシマナガサキの犠牲を生んだ。戦後の平和をまもってきたのは自民党だ。勇気と自信をもってがんばろう」
 古賀氏は、東国原英夫宮崎県知事のかつぎだしの失敗でミソをつけた。統治能力も落ちた自民党にあって、しかし、誇るべきはともかくも「平和」を維持してきたということかもしれない。
 心配なのは民主党である。あんなに反対したインド洋への給油の自衛隊派遣を、「政権をとった翌日に、帰ってこいなんてできるわけがない」と、つまりは容認とのことである。福田康夫首相は民主党の抵抗で一旦自衛隊を撤収する羽目になって、もうあんな「ねじれ」の苦労はしたくないと辞任した。野党だったら反対、政権をとったら容認という態度は信用できようか、「現実路線」などと言いくるめないでほしい。
 非核三原則はやはりいかさまだったらしい。アメリカ艦船の核持込をこっそり認める密約が国民の背信であることは言うまでもない。だが、鳩山由紀夫民主党代表が口走ったように、じゃ、これからは密約でなく、核持込には「現実的対応」で、となれば非核三原則は崩れることになる。
 この「現実論」というやっつが曲者だ、目の前の現実に対応しているうちに戦争に突っ込んでしまったのが大日本帝国の歴史である。なたそれを繰り返すとまでは言わないが、福島瑞穂社民党党首が「自民党はだめ、民主は危ない」と心配するのも分かる。
 あれは16年前の夏、1993年の総選挙で、宮沢喜一首相の率いる自民党政権は過半数割れ下野して、細川護熙首相の「非自民」連立政権が出来た。あのとき外交安保政策はどうだっただろう。取材ファイルをひっくり返してみる。連立を組む8党会派の「合意事項」というペーパーがでてくる。全5項目の第2項にこうある。
 「憲法の理念及び精神を尊重し、外交防衛等、国の基本施策について、これまでの政策を継承しつつ・・・」とある。そうだった、自衛隊違憲、日米安保反対の社会党も「政策を継承」の言葉をのんで政権に加わった。政権交代の波に乗って、自らのアイデンティテイーをないがしろにしたところから、社会党は壊れたのだ。
'09.7.30.朝日新聞・本社コラムニスト・早野 透氏
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