散歩道<3037>
                   ザ・コラム・ポリティカ・ニッポン日米明暗分けた賠償金(2)             (1)〜(3)続く 
                             文化戦略

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 アカシアの白い花が、夏の微風に舞い散っている。
 胡主席や習近平・国家副主席が卒業した北京の清華大は、今月9日、大勢の観光客でにぎわっていた。人気の一つは、構内に立つ「清華学堂」というよ洋風の旧校舎だ。
 「この学校はもともと、米国留学の予備校だった」
 案内してくれた同大副教授の薫士偉氏がそういった。
 話は100年以上もさかのぼる。清朝末に起きた「義和団」の排外騒乱は、清朝がこれを支持したため対外戦争となり、制圧した列強8カ国が巨額の賠償金を請求した。
 支払いに苦しむ中国側の働きかけで、セオドア・ルーズベルト大統領は08年、賠償金を教育費として返すよう決めた。09年から4年間は毎年100人、以後50人づつを米国に留学させる計画だ。
 「しかし09年の合格者は48人で定員割れでした。そのため、11年に賠償金で予備校の清華学堂を建て、4年間英語で学べば米国に編入できることにした」
 薫氏によると、日露戦争後、人気のあった日本留学は、日中戦争が始まると下火になった。それに対し、米留学は49年に中国で共産党が政権を取るまで続いた。米国への公費留学や私費で留学した栄慶齢、宋美齢姉妹らは、戦時中は「抗日」で活躍した。
 では、日本はどうだったのか。『日本も、義和団事件の賠償金などで教育文化事業を興した。しかし米英仏が好意的に受け入れられたに対し,日本は『文化侵略』と警戒され、排斥されました」と、京大の山室信一教授はいう

 山室教授によると、日本は23年から、賠償金などで中国から日本への留学を援助し、竹内好、藤堂明保氏ら中国研究者を支援した。さらに上海に人文科学、上海に自然科学研究所を開いたが、抗日の動きが強まって中国側の協力が得られず、事業は行き詰った。
 日本は29年、賠償金などで東洋学を研究する東方文化学院を開き、東京と京都に研究所を置く。戦後は前者が東大東洋文化研究所に一部吸収され、後者は京大人文科学研究所に統合された。日本の対外文化戦略は、国内の東洋研究に成果
を残すにとどまった。
 「今の中国には米国留学経験者が多く、米中の人脈は深まるばかりだ。中国もアフリカなどから留学生を積極的に受け入れているが、日本はどうか。過去の問題ではなく、将来の問題として、心配になります」と山室教授はいう。

'09.7.23.朝日新聞・編集委員・外岡  秀俊氏